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玉陵
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
玉陵
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'''玉陵'''(たま・うどぅん)は、沖縄県那覇市首里にある、琉球[[第二尚氏]]王朝の陵墓。首里の陵墓としては[[山川陵]]や[[宝口陵]]がある。 == 歴史 == 尚真王が父尚円王の遺骨を[[見上森御嶽]]から改葬して築いたのが始まり。 第二尚氏の歴代のうち、第2代尚宣威王、追尊尚懿王、第7代尚寧王以外の歴代国王と尚典侯爵が埋葬されている。このほか、妃・王子・王女などが埋葬されている。尚維衡(尚真王世子)も[[浦添ようどれ]]から改葬されたと伝わるが、厨子遺骨は確認されていないようだ。「玉陵墓室石牆」は国指定重要文化財。国指定史跡「玉陵」。世界遺産。琉球最大の破風墓。[[首里城]]西側300メートルのところにある。1501年ごろ、第二尚氏第3代尚真王によって造営された。沖縄戦直前まで使用された。沖縄戦で破壊されたが、昭和30年(1955)ごろから尚家によって修復された。さらに昭和52年の修復で、ほぼ戦前の姿が復元された。 石灰岩丘陵の北側斜面に自然洞窟を掘り込んで造営されている。周囲を石垣で囲み、内庭と外庭の二つの区画に中門によって区切られている。内庭には東室を中心に西室、中室の三つの墓室があり、それぞれ切妻屋根平入の外観をしている。東室には主室・奥室・二つの耳室の四つの部屋からなり、王・王妃の厨子が奉安されている。西室は単室で王子・王女・王子婦人の厨子が奉安された。中室は単室で洗骨前の遺体が奉安された。一部に近世の補修があるが、ほぼ15世紀当時の姿を保っていると考えられている。東室には37基、西室には32基、中室には1基の厨子が奉安されていた。奉安された遺骨のほとんどは洗骨されているが、2基の厨子から火葬されたとみられる遺骨も確認されているという。(安里進「琉球王国の陵墓制」) [[category:沖縄県]]
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