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玉陵
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2015年12月7日 (月) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
玉陵(たま・うどぅん)は、沖縄県那覇市首里にある、琉球第二尚氏王朝の陵墓。
尚真王が父尚円王の遺骨を見上森御嶽から改葬して築いたのが始まり。
第二尚氏の歴代のうち、第2代尚宣威王、追尊尚懿王、第7代尚寧王以外の歴代国王と尚典侯爵が埋葬されている。このほか、妃・王子・王女などが埋葬されている。尚維衡(尚真王世子)も浦添ようどれから改葬されたと伝わるが、厨子遺骨は確認されていないようだ。「玉陵墓室石牆」は国指定重要文化財。国指定史跡「玉陵」。世界遺産。琉球最大の破風墓。首里城西側300メートルのところにある。1501年ごろ、第二尚氏第3代尚真王によって造営された。沖縄戦直前まで使用された。沖縄戦で破壊されたが、昭和30年(1955)ごろから尚家によって修復された。さらに昭和52年の修復で、ほぼ戦前の姿が復元された。
石灰岩丘陵の北側斜面に自然洞窟を掘り込んで造営されている。周囲を石垣で囲み、内庭と外庭の二つの区画に中門によって区切られている。内庭には東室を中心に西室、中室の三つの墓室があり、それぞれ切妻屋根平入の外観をしている。東室には主室・奥室・二つの耳室の四つの部屋からなり、王・王妃の厨子が奉安されている。西室は単室で王子・王女・王子婦人の厨子が奉安された。中室は単室で洗骨前の遺体が奉安された。一部に近世の補修があるが、ほぼ15世紀当時の姿を保っていると考えられている。東室には37基、西室には32基、中室には1基の厨子が奉安されていた。奉安された遺骨のほとんどは洗骨されているが、2基の厨子から火葬されたとみられる遺骨も確認されているという。(安里進「琉球王国の陵墓制」)