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王興寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''王興寺'''は、忠清南道[[扶余郡]]窺岩面新里にあった寺院。
'''王興寺'''は、忠清南道[[扶余郡]]窺岩面新里にあった寺院。
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==資料==
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*佐川正敏2007「扶餘王興寺吐出土舎利容器の意味」
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*國學院大學文学部史学科編2008『古代文化の源流を探る―百済王興寺から飛鳥寺へ』
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*田中史生2008「百済王興寺と飛鳥寺と渡来人」『東アジアの古代文化』136
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*李漢祥2008「百済王興寺木塔址一括遺物の性格と意義」『東アジアの古代文化』136
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*鈴木靖民2008「百済王興寺の舍利容器・荘厳具と飛鳥寺」『東アジアの古代文化』136
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*鈴木靖民2010『古代東アジアの仏教と王権―王興寺から飛鳥寺へ』
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*韓松伊2011「6~7世紀遺跡出土ガラス玉の特徴―扶余王興寺址公州武寧王陵出土ガラス玉の分析資料を中心に」[https://repository.nabunken.go.jp/dspace/handle/11177/7537]
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*近藤浩一2013「百済・威徳王の寺院建立と孝思想―陵山里寺院・王興寺よりみた東アジア仏教文化交流の一側面」『京都産業大学日本文化研究所紀要』18
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*韓ナレ・〓鍾壽2014「扶余王興寺址の伽藍配置の類型及び造営年代―最近の発掘調査成果を中心に」『環太平洋文化』29
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===韓国書===
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*国立扶余文化財研究所2009『扶余王興寺址発掘物語』
[[category:大韓民国忠清南道]]
[[category:大韓民国忠清南道]]

2023年8月14日 (月) 時点における版

王興寺は、忠清南道扶余郡窺岩面新里にあった寺院。


資料

  • 佐川正敏2007「扶餘王興寺吐出土舎利容器の意味」
  • 國學院大學文学部史学科編2008『古代文化の源流を探る―百済王興寺から飛鳥寺へ』
  • 田中史生2008「百済王興寺と飛鳥寺と渡来人」『東アジアの古代文化』136
  • 李漢祥2008「百済王興寺木塔址一括遺物の性格と意義」『東アジアの古代文化』136
  • 鈴木靖民2008「百済王興寺の舍利容器・荘厳具と飛鳥寺」『東アジアの古代文化』136
  • 鈴木靖民2010『古代東アジアの仏教と王権―王興寺から飛鳥寺へ』
  • 韓松伊2011「6~7世紀遺跡出土ガラス玉の特徴―扶余王興寺址公州武寧王陵出土ガラス玉の分析資料を中心に」[1]
  • 近藤浩一2013「百済・威徳王の寺院建立と孝思想―陵山里寺院・王興寺よりみた東アジア仏教文化交流の一側面」『京都産業大学日本文化研究所紀要』18
  • 韓ナレ・〓鍾壽2014「扶余王興寺址の伽藍配置の類型及び造営年代―最近の発掘調査成果を中心に」『環太平洋文化』29

韓国書

  • 国立扶余文化財研究所2009『扶余王興寺址発掘物語』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%8E%8B%E8%88%88%E5%AF%BA」より作成

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