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理智光寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
理智光寺
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[[ファイル:Morinaga-shinno-haka (6).jpg|thumb|350px|理智光寺跡碑 ]] '''理智光寺'''は、[[鎌倉]]にあった[[真言宗]]寺院。廃絶。本尊は[[阿弥陀如来]]で、現在は[[覚園寺]]に移されている。広大な境内があったが現在は住宅地となっている。跡地の一画には[[護良親王墓]]がある。'''利知光寺'''。'''理致光寺'''。山号は五峰山。 [[泉涌寺]]6世憲静(?-1295)が創建。理智光院と称した。 1310年焼失。 1335年、弑された護良親王の首級を理智光院の長老が藪から拾って葬送を行った。 1357年、[[鎌倉東光寺]]の月山友桂は理智光寺に護良親王墓として宝篋印塔を建立。 天文以降、理智光寺と称したらしい。[[浄光明寺]]慈恩院の管理となっていた。 江戸時代には阿弥陀堂のみが残り、[[東慶寺]]末の尼寺となっていたという。 1870年10月22日、政府の命で理智光寺の護良親王の位牌「兵部卿尊雲法親王尊儀」、本寺である東慶寺に奉遷(この時点では理智光寺はまだ存続していたか?)。 明治初年に廃絶し、覚園寺に併合された。 (『日本歴史地名大系』ほか) <Gallery widths="450" heights="500" perrow="2"> File:護良親王墓・古絵図・1901護良親王御伝.jpg|『護良親王御伝』より File:Morinaga-shinno-haka (5).jpg|護良親王墓 </Gallery> [[Category:神奈川県]]
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