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理智光寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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憲静が創建。理智光院と称した。
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[[泉涌寺]]6世憲静(?-1306)が創建。理智光院と称した。
1310年焼失。
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1335年、弑された護良親王の首級を理智光院の長老が藪から拾って葬送を行った。
1335年、弑された護良親王の首級を理智光院の長老が藪から拾って葬送を行った。

2020年7月21日 (火) 時点における版

理智光寺は、鎌倉にあった真言宗寺院。廃絶。護良親王菩提寺。本尊は阿弥陀如来で、現在は覚園寺に移されている。護良親王墓が近くにある。利知光寺理致光寺。山号は五峰山。

歴史

泉涌寺6世憲静(?-1306)が創建。理智光院と称した。 1310年焼失。 1335年、弑された護良親王の首級を理智光院の長老が藪から拾って葬送を行った。 天文以降、理智光寺と称したらしい。浄光明寺慈恩院の管理となっていた。

江戸時代には阿弥陀堂のみが残り、東慶寺末の尼寺となっていたという。

明治2年頃に廃絶し、覚園寺に併合された。 (『日本歴史地名大系』)

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