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理智光寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年5月14日 (土)

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理智光寺跡碑

理智光寺は、鎌倉にあった真言宗寺院。廃絶。本尊は阿弥陀如来で、現在は覚園寺に移されている。広大な境内があったが現在は住宅地となっている。跡地の一画には護良親王墓がある。利知光寺理致光寺。山号は五峰山。

泉涌寺6世憲静(?-1295)が創建。理智光院と称した。 1310年焼失。 1335年、弑された護良親王の首級を理智光院の長老が藪から拾って葬送を行った。 1357年、鎌倉東光寺の月山友桂は理智光寺に護良親王墓として宝篋印塔を建立。 天文以降、理智光寺と称したらしい。浄光明寺慈恩院の管理となっていた。

江戸時代には阿弥陀堂のみが残り、東慶寺末の尼寺となっていたという。 1870年10月22日、政府の命で理智光寺の護良親王の位牌「兵部卿尊雲法親王尊儀」、本寺である東慶寺に奉遷(この時点では理智光寺はまだ存続していたか?)。 明治初年に廃絶し、覚園寺に併合された。 (『日本歴史地名大系』ほか)

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