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瑞山神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''瑞山神社''' | + | '''瑞山神社'''は、高知県高知市仁井田吹井にある[[志士]]'''武市瑞山'''を祀る[[霊社]]。[[武市瑞山墓]]および旧宅のそばに建てられた。御神体は獄中で描いた自画像だという[https://dl.ndl.go.jp/pid/1897470/1/90]。[[県社]]として計画されていたが実現しなかったようだ。宗教法人格はないようだ。(参考:同名神社[[陸奥・瑞山神社]]) |
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+ | ==歴史== | ||
+ | *1865年(慶応1年)閏5月11日:切腹。37歳。 | ||
+ | *1877年(明治10年)2月19日:明治天皇、武市半平太に祭粢料300円を、平井収二郎、間崎哲馬、弘瀬健太、千屋菊次郎、松山深蔵、田所壮輔、島村衛吉、小畑孫三郎に祭粢料各150円を下賜[https://www.digital.archives.go.jp/img/1387249]。 | ||
+ | *1891年(明治24年):贈正五位。 | ||
+ | *1914年(大正3年)5月:50年祭にあたり三里瑞山先生記念会、墓域を整備[https://dl.ndl.go.jp/pid/7913131/1/84]。 | ||
+ | *1930年(昭和5年)1月7日:瑞山神社建立計画を立てる[https://dl.ndl.go.jp/pid/3451655/1/180]。 | ||
+ | *1930年(昭和5年)8月:武市瑞山先生県社奉祀期成会、趣意書を制作[https://dl.ndl.go.jp/pid/1211735/1/157] | ||
+ | *1932年(昭和7年)1月:瑞山神社創立を申請[https://dl.ndl.go.jp/pid/7913014/1/94]。 | ||
+ | *不詳:鎮座。(戦後か) | ||
+ | *1965年(昭和40年)5月11日:100年祭。記念館を兼ねた拝殿を建設。 | ||
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+ | ==資料== | ||
+ | *「獄中の詩」碑銘文:[https://dl.ndl.go.jp/pid/2972391/1/47] | ||
+ | *石碑銘文2:1913年(大正2年)5月11日:[https://dl.ndl.go.jp/pid/2972391/1/47] | ||
+ | *石碑銘文3:1968年(昭和43年)10月31日:[https://dl.ndl.go.jp/pid/7913131/1/84] | ||
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+ | *1932「県社瑞山神社創立」[https://dl.ndl.go.jp/pid/7913014/1/94] | ||
+ | *下元和子1985「武市瑞山百二十年祭について」[https://dl.ndl.go.jp/pid/7913113/1/115] | ||
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2024年2月18日 (日) 時点における版
瑞山神社は、高知県高知市仁井田吹井にある志士武市瑞山を祀る霊社。武市瑞山墓および旧宅のそばに建てられた。御神体は獄中で描いた自画像だという[1]。県社として計画されていたが実現しなかったようだ。宗教法人格はないようだ。(参考:同名神社陸奥・瑞山神社)
歴史
- 1865年(慶応1年)閏5月11日:切腹。37歳。
- 1877年(明治10年)2月19日:明治天皇、武市半平太に祭粢料300円を、平井収二郎、間崎哲馬、弘瀬健太、千屋菊次郎、松山深蔵、田所壮輔、島村衛吉、小畑孫三郎に祭粢料各150円を下賜[2]。
- 1891年(明治24年):贈正五位。
- 1914年(大正3年)5月:50年祭にあたり三里瑞山先生記念会、墓域を整備[3]。
- 1930年(昭和5年)1月7日:瑞山神社建立計画を立てる[4]。
- 1930年(昭和5年)8月:武市瑞山先生県社奉祀期成会、趣意書を制作[5]
- 1932年(昭和7年)1月:瑞山神社創立を申請[6]。
- 不詳:鎮座。(戦後か)
- 1965年(昭和40年)5月11日:100年祭。記念館を兼ねた拝殿を建設。
資料