ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

瑞応院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年6月22日 (水)

移動: 案内, 検索

瑞応院(ずいおういん)は薩摩国穎娃郡(鹿児島県指宿市開聞十町)の開聞岳にあった真言宗寺院。本尊は聖観音枚聞神社別当。薩摩・一乗院末。廃絶。普門寺と号す。山号は開聞山。

目次

歴史

649年(大化5年)、智通が開聞岳の麓に創建したという。652年(白雉3年)枚聞神社のそばに移転。1326年(嘉暦1年)島津貞久が舜請(?-1420)を招いて中興。一乗院の末寺とした。1869年の神仏分離で廃絶。(日本歴史地名大系)

子院

  • 増円坊
  • 円実坊
  • 密巌坊
  • 円増坊
  • 多聞坊
  • 毫教坊:以上六坊
  • 東之坊

組織

歴代住職

  • 「開聞宮由緒古跡糺方帳」[1](デジコレ限定送信)より
  • 1智通(生没年不詳)<652-?>:日本法相宗第二伝の祖。652年(白雉3年)瑞応院を創建したという。658年、智達とともに入唐して玄奘と窺基に師事した。
  • 1舜請(1290-1420)<1326->:少納言阿闍梨と号す。1420年11月27日死去。131歳という。
  • 2明賢()<>:
  • 3快照()<>:
  • 4快稚()<>:
  • 5快財()<>:
  • 6咸雅()<>:
  • 7瀬渠()<>:
  • 8頼〓()<>:
  • 9頼玄()<>:
  • 10頼仙()<>:
  • 11頼珍()<>:
  • 12頼安()<>:
  • 13頼仁()<>:
  • 14頼宋()<>:
  • 15頼秀()<>:
  • 16快忠()<>:慶長4年11月8日、坊津で死去。「慶長丗年巳亥」は「慶長四年己亥」の誤りとみなした。
  • 17堯瑜()<>:
  • 18頼叶()<>:慶長6年6月8日死去。
  • 19日運()<>:
  • 20実瑜()<>:
  • 21宥全()<>:
  • 22快誉()<>:
  • 23快義()<>:一乗院17世。天和3年10月23日、智徳院で死去。
  • 24快泉()<>:
  • 25快周()<>:
  • 26亮盛()<>:
  • 27頼盈()<>:
  • 28光雅()<>:
  • 29盛寿()<>:
  • 30快盤()<>:
  • 31玉超()<>:
  • 32盛真()<>:
  • 33覚峰()<>:享保20年12月29日、坊津で死去。
  • 34亮真()<>:
  • 35快範()<>:寛延1年9月10日、坊津で死去。
  • 36〓賢()<>:
  • 37快宝()<>:延享2年12月15日、一乗院住職。『開聞故事縁起』(1746年再編集)の原書を執筆。
  • 38太園()<>:
  • 39真純()<>:
  • 40尊盈()<>:一乗院29世。宝暦6年8月21日、一乗院住職。
  • 41快長()<>:
  • 42快巌()<>:
  • 43真性()<>:
  • 44快雄()<>:明和4年4月1日入院。のち一乗院に住す。
  • 45覚渕()<>:
  • 46覚典()<>:
  • 47覚興()<>:
  • 48覚仁()<>:天明3年12月入院。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%91%9E%E5%BF%9C%E9%99%A2」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール