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瑠璃寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年9月13日 (水)

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'''瑠璃寺'''は、兵庫県佐用郡佐用町にある[[真言宗]]寺院。かつては[[本山派]]修験の[[二十七先達]]を務めた。'''南光坊'''とも称す。[[高野山真言宗]]。
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'''瑠璃寺'''(るりじ)は、兵庫県佐用郡佐用町にある[[真言宗]]寺院。本尊は[[千手千眼観音]]。かつては[[本山派]]修験の[[二十七先達]]を務めた。'''南光坊'''とも称す。山号は船越山。[[高野山真言宗]]。
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== 歴史 ==
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[[聖武天皇]]の発願で創建されたという。『峰相記』によると[[行基]]が創建した寺として「船越山」があり、本尊は[[薬師如来]]という。実際には平安時代末までに創建されたと考えられている。中世、赤松則祐の叔父の覚祐が中興。寛永9年焼失。江戸時代、[[仁和寺]]と[[聖護院]]の両方の末寺となり、[[真言宗]]と[[天台宗]]を兼ねた。播磨で最も盛んな修験寺院の一つで、[[伽耶院]]に次ぐ規模だった。(日本歴史地名大系)
[[category:兵庫県]]
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2017年9月13日 (水) 時点における最新版

瑠璃寺(るりじ)は、兵庫県佐用郡佐用町にある真言宗寺院。本尊は千手千眼観音。かつては本山派修験の二十七先達を務めた。南光坊とも称す。山号は船越山。高野山真言宗

歴史

聖武天皇の発願で創建されたという。『峰相記』によると行基が創建した寺として「船越山」があり、本尊は薬師如来という。実際には平安時代末までに創建されたと考えられている。中世、赤松則祐の叔父の覚祐が中興。寛永9年焼失。江戸時代、仁和寺聖護院の両方の末寺となり、真言宗天台宗を兼ねた。播磨で最も盛んな修験寺院の一つで、伽耶院に次ぐ規模だった。(日本歴史地名大系)

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