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田島神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年5月24日 (月)

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田島神社
たじま じんじゃ
概要 宗像信仰の代表的神社の一社。
奉斎 多紀理毘売命、市杵嶋比売命、多岐都比売命
(土岐昌訓論文)
所在地 佐賀県唐津市呼子町加部島3956
所在地(旧国郡) 肥前国松浦郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 官社名神大社朱印地拝領神社国幣中社別表神社
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目次

概要

田島神社(たじま・じんじゃ)は佐賀県唐津市呼子町(肥前国松浦郡)の加部島にある宗像厳島信仰の神社。祭神は多紀理毘売命、市杵嶋比売命、多岐都比売命。大山祇命と稚武王命を配祀。官社名神大社朱印地拝領神社国幣中社別表神社。北西向きに海に面して立つ。近くに稚武王命の墓とされる瓢塚がある。田島神社を上松浦明神と呼び、志々伎神社を下松浦明神という。


歴史

創建不詳。738年(天平10年)朝廷は大伴古麻呂を遣わして田嶋大明神の号を奉ったという。 『延喜式』に「田嶋坐神社」とある。 『三代実録』によると859年(貞観1年)1月27日、従五位下から従四位下。884年(元慶8年)12月16日、正四位上。 1593年(文禄2年)名護屋城に在陣した豊臣秀吉は100石を寄進。 (日本歴史地名大系)

境内

  • 佐与姫社:佐用姫神社とも。

組織

宮司

  • 糸山貞幹(1831-1919)<>:国学者。1831年(天保2年)生。肥前佐賀藩の神学寮教頭を務める。1877年(明治10年)12月、田島神社宮司。高良大社香椎宮にも奉仕。1919年(大正8年)5月6日死去。著書『肥前風土記纂注』。
  • 岡吉胤(1833-1907)<>:
  • 宇都宮泰玄()<-1911>:1911年(明治44年)5月19日退任。
  • 大神正道()<1911->:1911年(明治44年)5月19日、田島神社宮司。
  • 藤岡好古?
  • 宮西惟喬(1903-1989)<1937-1941>:(略歴は日枝神社#組織を参照)
  • 森安忠(1907-)<1948-1955>:(略歴は羅南護国神社#組織を参照)
  • 平野良興

資料

  • 『古事類苑』「田島神社」[1]
  • 『佐賀県史蹟名勝天然紀念物調査報告』[2]


参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%94%B0%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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