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白山比メ神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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白山比〓神社 しらやまひめ じんじゃ | |
奥宮 | |
概要 | 白山の神を奉斎する神社。 |
奉斎 | 菊理媛神、伊弉諾尊、伊弉册尊 (土岐昌訓論文) |
所在地 | 石川県白山市三宮ニ105-1 |
所在地(旧国郡) | 加賀国石川郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 式内社・正三位・加賀国一宮・国幣中社・別表神社 |
関連記事 | 白山信仰 |
目次 |
概要
歴史
境内
- 本社
- 荒御前神社
- 禊社
- 住吉社
- 神馬舎
- 奥宮遥拝所
- かたがり地蔵
- 古宮跡
- 水戸明神
- 舟岡山:「白山比咩神社創祀之地」碑。
- 祈祷殿
- 奥宮
摂末社
明治初期[1]。
- 本社:白山七社の一つ。中宮三社の一つ。
- 奥宮:1872年(明治5年)11月17日、加賀国能美郡に編入。3月23日、白山比咩神社の本社とされる。1871年(明治4年)仏像を撤去。1877年(明治10年)10月5日、白山比咩神社の奥宮とされる。1890年(明治23年)10月社地を確定。1881年(明治14年)5月20日、白山比咩神社摂社か[2]。
- 大己貴神社:奥宮境内摂社。1881年(明治14年)5月20日、白山比咩神社摂社[3]。
- 別山神社:奥宮境内摂社。1881年(明治14年)5月20日、白山比咩神社摂社[4]。
- 檜宿宮:奥宮境外末社(境内末社とも[5])。所在不詳。
- 檜新宮:奥宮境外末社[6]。
- 荒御前社:境内末社。1877年(明治10年)高日神社(日吉神社)を合祀。
- 祠:祭神は大国主命。神饌所に祀っていたが、1872年(明治5年)拝殿に遷座。[7]
- 金剣宮:境外摂社。石川県白山市鶴来日詰町。白山七社の一つ。本宮四社の一つ。1872年(明治5年)郷社に列格。1877年(明治10年)白山比咩神社摂社となる(1880年(明治13年)とも[8])。1895年(明治28年)県社に昇格。[9]
- 笥笠中宮神社:境外摂社。石川県白山市中宮。白山七社の一つ。中宮三社の一つ。1872年(明治5年)12月2日、村社に列格。1877年(明治10年)3月21日、白山比咩神社摂社。1907年(明治40年)10月16日、貴峰社を合祀。[10]
- 佐良早松神社:境外摂社。石川県白山市佐良。白山七社の一つ。中宮三社の一つ。
- 岩本神社:境外摂社。石川県能美市岩本町。白山七社の一つ。本宮四社の一つ。1872年(明治5年)村社。[11]
- 白山別宮神社:境外摂社。石川県白山市別宮町。白山七社の一つ。中宮三社の一つ。1872年(明治5年)11月2日村社。1875年(明治8年)6月郷社。1877年(明治10年)3月21日、白山比咩神社摂社[12][13]。
- 日御子神社:境外末社。石川県白山市日御子町。火御子社。1872年(明治5年)11月2日村社。1880年(明治13年)9月13日、日御子神社と改称。1923年(大正12年)6月23日郷社。[14]
- 八幡社:境外末社。石川県白山市八幡町。
- 住吉神社:境外末社。石川県白山市白山町か。「社殿なし」という。所在不詳。
- 弓原神社:境外末社。石川県白山市井口町北。1898年(明治31年)8月4日、弓原神社と改称。
- 加宝神社:境外末社。石川県白山市尾添。1872年(明治5年)11月2日、村社。
- 和佐谷神社:境外末社。石川県能美市和佐谷町。1908年(明治41年)八幡社を合祀。1929年(昭和4年)、和佐谷社から和佐谷神社に改称。
- 志津原神社:境外末社。石川県白山市広瀬町。
組織
宮司
- 1狩谷竹鞆(1822-1878)<1872-1874>:国学者。1822年(文政5年)生。田中躬之に学ぶ。金沢藩明倫堂訓導。1872年(明治5年)10月2日、白山比咩神社宮司心得。11月2日、宮司に正式に就任。1873年(明治6年)12月、退任。1878年(明治11年)死去。
- 2加藤里路(1840-1911)<1874-1874>:狩谷竹鞆に学ぶ。1874年(明治7年)1月4日、白山比咩神社宮司。4月28日、気多大社権宮司。射水神社宮司。尾山神社祠官。(略歴は、射水神社#組織を参照)
- 3小塩良景()<1874-1876>:気多大社権宮司から転じて1874年(明治7年)4月28日、白山比咩神社宮司。1876年(明治9年)11月23日、藤島神社宮司。
- 4荒地春樹()<1876->:熊本県士族。1876年(明治9年)12月、白山比咩神社宮司就任。気多神社宮司。新田義貞を祀る神社の創建の建白書を政府に提出して、藤島神社創建につながったとみられる。
- 横山政和(1854-1893)<1882->:金沢藩家老。1万石を領した。小松城代。執政、大参事を歴任。廃藩置県後、神道教導職となる。1874年(明治7年)、気多神社宮司。1882年(明治15年)4月、白山比咩神社宮司就任。1893年(明治26年)8月25日死去。
- 石川昌三郎()<1893->:旧金沢藩士。石川県官吏。1875年(明治8年)、金沢町総区長、のち区長心得。1893年(明治26年)10月12日、白山比咩神社宮司就任。
- 中村真夾男()<1905->:1905年(明治38年)10月、白山比咩神社宮司就任。
- 長屋基彦(1863-1933)<1913-1914>:広島県出身。1863年(文久3年)生。比治山神社祠官に師事。皇典講究所卒。金刀比羅宮に奉職。神宮皇学館教授。京都や広島で教諭を務め、1913年(大正2年)1月、白山比咩神社宮司。1914年(大正3年)6月、樺太神社宮司。1918年(大正7年)7月8日、松尾大社宮司。のち湊川神社宮司。1929年(昭和4年)隠退。1933年(昭和8年)死去。
- 斎藤英夫()<1914->:1914年(大正3年)6月、白山比咩神社宮司就任。日枝神社宮司?出羽神社宮司?
- 高原美忠(1892-1989)<1924->:皇学館大学学長。神社本庁長老。1924年(大正13年)7月、白山比咩神社宮司就任。函館八幡宮、弥彦神社、八坂神社の宮司を歴任。(略歴は、八坂神社#組織を参照)
- 阪本作之助(1881-1946)<1931-1936>:貫前神社宮司を経て1931年(昭和6年)3月31日、白山比咩神社宮司就任。1936年(昭和11年)6月17日、霧島神宮宮司。(略歴は、霧島神宮#組織を参照)
- 野村暲治()<1936->:1936年(昭和11年)6月、白山比咩神社宮司就任。駒形神社宮司。
- 片岡常男(1899-1960)<1939->:昭和14年8月、白山比咩神社宮司就任。宮崎神宮、北畠神社、藤島神社の宮司を歴任。
- 紀俊嗣()<1944->:1944年(昭和19年)9月、白山比咩神社宮司就任。戦後、白山教を立てるがうまくいかなかった。日前神宮国懸神宮宮司。紀伊国造80世。(略歴は、日前神宮#組織を参照)
- 前田勝也(1900-1981)<1948-1868>:1948年(昭和23年)1月、白山比咩神社宮司。1968年(昭和43年)北海道神宮宮司。(略歴は北海道神宮#組織を参照)
- 前田如郷()<>:淡島神社宮司。
- 太田辰巳(1917-1994)<>:
- 19山崎宗弘(?-2014)<1994-2010>:石川県輪島市出身。国学院大学専門部卒。大幡神杉伊豆牟比咩神社宮司。中学高校の教諭。1994年(平成6年)11月、白山比咩神社宮司。
- 20村山和臣()<2010->:権宮司を経て宮司就任。
権宮司
- 高木有制()<>:1872年(明治5年)10月2日、白山比咩神社権宮司心得。11月2日、権宮司に正式に就任。1874年(明治7年)5月16日死去。
- 大野木克征(生没年不詳)<1875-1876>:金沢藩士。1875年(明治8年)(1874年(明治7年)?)6月18日、白山比咩神社権宮司[15]。1876年(明治9年)1月(2月とも)、気比神社権宮司。(略歴は、気比神宮#組織を参照)
- 塩田時意()<>:気比神社禰宜を経て1876年(明治9年)2月、白山比咩神社権宮司。
画像
参考文献
- 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』