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白峰神宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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白峰神宮
しらみね じんぐう
Shiramine-jingu (1).jpg
概要 崇徳天皇の霊廟。
奉斎 崇徳天皇、淳仁天皇
(土岐昌訓論文)
所在地 京都府京都市上京区今出川堀川東入飛鳥井261
所属(現在) 神社本庁
格式など 官幣大社別表神社
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目次

概要

白峰神宮(しらみね・じんぐう)は、京都府京都市上京区にある崇徳天皇淳仁天皇を祀る霊社御霊信仰の側面があった。崇徳帝の陵墓は香川県坂出市の白峰寺に、淳仁帝の陵墓は兵庫県南あわじ市にある。官幣大社別表神社白峯神宮

歴史

境内

  • 本社:
  • 地主社:祭神は精大明神・柊大明神・今宮大神・白峰天神・糸元大明神
  • 潜龍社:祭神は潜龍大神。
  • 伴緒社:祭神は源為義・源為朝。

組織

大宮司・宮司

  • 猪熊夏樹(1835-1912)<1868->:讃岐・白鳥神社社家出身。白峰宮創建に尽力し、初代宮司となる。明治5年、伊勢神宮神楽改正取調に関わる。
  • 本山茂任(1826-1887)<1877-1877>:高知藩出身の志士。内務官僚・神職。1826年(文政9年)11月生まれ。高知藩士。鹿持雅澄に国学を学ぶ。1870年(明治3年)2月、高知藩権大参事。1871年(明治4年)7月免官。11月15日松山県参事。翌年従六位。同年12月史官御用。1873年(明治6年)6月、八等出仕。1874年(明治7年)1月15日、茨城県権参事。水沢県権参事。翌年、司法省の少検事となり、長崎裁判所勤務となる。同年、依願免官。1877年(明治10年)6月16日、白峰宮宮司。12月12日、春日大社宮司。1878年(明治11年)1月23日、賀茂御祖神社宮司。8月28日大講義。1879年(明治12年)正七位。1880年(明治13年)3月10日、権少教正。1884年(明治17年)10月14日、大和神社宮司。1887年(明治20年)4月23日大神神社宮司。同年8月21日死去。62歳。(『神道人名辞典』には「本山茂伍」とある) (『大神神社史料』)
  • 吉田〓(1822-1898)<1877-1885>:京都出身の志士。平野国臣や真木和泉と親交があった。1877年(明治10年)白峰宮宮司。1885年(明治18年)龍田大社宮司。1886年(明治19年)大和神社宮司。吉田玄蕃。吉田黙。(〓は「口+黒」。「黙」の異体字)(『神道人名辞典』)
  • 青木陳実(1854-1918)<>:伊勢神宮権禰宜。宮崎宮宮司、白峰宮宮司、結城神社宮司、賀茂別雷神社宮司、平安神宮宮司を歴任。
  • 三河彦治()<1909->:(略歴は、射水神社#組織を参照)
  • 中井勝彦()<>:
  • 藤井行徳(1855-1932)<>:平野神社の社家で堂上家の藤井家の当主。略歴は、松尾大社#組織を参照)
  • 関目琴季()<>:平野神社宮司。
  • 西村尚(-2014)<>:2014/11/1死去。
  • 石井鹿之助()<>

画像

参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%99%BD%E5%B3%B0%E7%A5%9E%E5%AE%AE」より作成

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