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白雲神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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[[file:Sdre-199.JPG|京都御苑・白雲神社|thumb|300px]]
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'''白雲神社'''は、京都府京都市の[[京都御苑]]内にある[[弁財天信仰]]の神社。祭神は[[市杵島姫命]]。元は[[西園寺家]]の鎮守。西園寺家は琵琶秘曲伝授の家元であり、楽神として信仰されている。別称は'''妙音弁財天'''。
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'''白雲神社'''は、京都府京都市の[[京都御苑]]内にある[[弁財天信仰]]の神社。祭神は[[市杵島姫命]]。元は[[西園寺家]]の鎮守。西園寺家は琵琶秘曲伝授の家元であり、楽神として信仰されている。別称は'''妙音弁財天'''、'''西園寺妙音堂'''。
==歴史==
==歴史==
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西園寺公経が北山邸の造営にあたり妙音堂を第一に建立。1224年(元仁1年)12月、安嘉門院(皇后邦子内親王)臨席して別当[[西園寺成就心院]]が開眼した。西園寺家と盛衰を共にし、[[真言宗]][[京極寺]]に遷座。
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藤原公経(西園寺公経)が北山邸と[[西園寺]]の造営にあたり、第一に建立した妙音堂が起源。1224年(元仁1年)12月、安嘉門院(皇后邦子内親王)臨席して西園寺子院の[[成就心院]]が別当となり開眼した。藤原師長の念持仏と伝わる二臂の琵琶弾奏形の弁才天坐像が神像として現存し、鎌倉時代の作だと考えられている[https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/135634]。西園寺家と盛衰を共にし、のち[[真言宗]][[京極寺]]に遷座。以降、たびたび妙音講が営まれた記録が貴族の日記類に残る。成就心院は15世紀中頃には宝泉寺という寺院が兼務していた。
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1769年(明和6年)、この地に西園寺賞季が再興。皇室の祈祷所とされた。1840年(天保11年)、1857年(安政4年)に社殿修復。神仏分離で1878年(明治11年)白雲神社と改称した。2008年(平成20年)社殿修復。(由緒書)
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1769年(明和6年)、現在地の西園寺邸に西園寺賞季が再興。京極寺の僧侶が成就心院を兼務した(成就心院の堂舎はなく名前だけか)。皇室の祈祷所とされた。長日祈祷を行い、御所に巻数を献上した。
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1788年(天明8年)1月、火災。
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1800年(寛政12年)巳日講の初見。
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1840年(天保11年)修復。皇室より寄付があった。拝殿を新築した。
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1846年(弘化3年)修復。1854年(安政1年)火災。
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1857年(安政4年)に社殿修復。この時も皇室から寄付があった。
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明治維新で西園寺家は東京に移転。
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1874年(明治7年)式部寮、西園寺家所有の楽器を預かる(1877年(明治10年)11月2日に返却)。
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1876年(明治9年)10月、蔵林寺が妙音弁財天像を預かる。11月、巳日講が遷座差し止めを求める。
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1877年(明治10年)、妙音像を従来通り祀ることを願う。4月、仏堂として京都府が認可し巳日講に委任。
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1878年(明治11年)、竹生島の[[都久夫須麻神社]]を勧請する形で、白雲神社と改称した。白雲の名は蛤御門周辺の村名による。
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1883年(明治16年)、社務所を新築するが宮内省から撤去命令が出る。
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1885年(明治18年)、境内地が御料地となる。
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1890年(明治23年)1月14日、前拝所を造成。
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1894年(明治27年)3月26日、本殿再建
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大正年間、遙拝所建立。
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1951年(昭和26年)10月、境内地無償譲渡。
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2008年(平成20年)社殿修復。
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分社として西園寺流琵琶を相伝した[[伏見宮家]]の[[出町妙音堂]]がある。
分社として西園寺流琵琶を相伝した[[伏見宮家]]の[[出町妙音堂]]がある。
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(由緒書、「西園寺家の妙音天信仰について」ほか)
==境内==
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*無動寺弁天堂遙拝所:[[延暦寺]]の[[無動寺弁天堂]]の遙拝所。[[大正天皇]]即位記念に造営。
*無動寺弁天堂遙拝所:[[延暦寺]]の[[無動寺弁天堂]]の遙拝所。[[大正天皇]]即位記念に造営。
*薬師石:
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==資料==
 
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*荻野三七彦1981「西園寺の妙音天像」『古文書研究』17・18合併号
 
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*西田かほる1999「西園寺家の妙音天信仰について」[http://hdl.handle.net/10959/2225]
 
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*土屋紀慶2003「中世における妙音天:楽と信仰の面から」[http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00072643-00850001-0001]
 
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file:Sdre-191.JPG|手水舎
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==資料==
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*「西園寺家文書」:「西園寺家の妙音天信仰について」[http://hdl.handle.net/10959/2225]所収。
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*荻野三七彦1981「西園寺の妙音天像」『古文書研究』17・18合併号
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*石原康夫1990『私考弁才天記』
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*西田かほる1999「西園寺家の妙音天信仰について」[http://hdl.handle.net/10959/2225]
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*土屋紀慶2003「中世における妙音天:楽と信仰の面から」[http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00072643-00850001-0001]
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[[category:京都府]]
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2020年8月30日 (日) 時点における版

京都御苑・白雲神社

白雲神社は、京都府京都市の京都御苑内にある弁財天信仰の神社。祭神は市杵島姫命。元は西園寺家の鎮守。西園寺家は琵琶秘曲伝授の家元であり、楽神として信仰されている。別称は妙音弁財天西園寺妙音堂

歴史

藤原公経(西園寺公経)が北山邸と西園寺の造営にあたり、第一に建立した妙音堂が起源。1224年(元仁1年)12月、安嘉門院(皇后邦子内親王)臨席して西園寺子院の成就心院が別当となり開眼した。藤原師長の念持仏と伝わる二臂の琵琶弾奏形の弁才天坐像が神像として現存し、鎌倉時代の作だと考えられている[1]。西園寺家と盛衰を共にし、のち真言宗京極寺に遷座。以降、たびたび妙音講が営まれた記録が貴族の日記類に残る。成就心院は15世紀中頃には宝泉寺という寺院が兼務していた。

1769年(明和6年)、現在地の西園寺邸に西園寺賞季が再興。京極寺の僧侶が成就心院を兼務した(成就心院の堂舎はなく名前だけか)。皇室の祈祷所とされた。長日祈祷を行い、御所に巻数を献上した。

1788年(天明8年)1月、火災。 1800年(寛政12年)巳日講の初見。 1840年(天保11年)修復。皇室より寄付があった。拝殿を新築した。 1846年(弘化3年)修復。1854年(安政1年)火災。 1857年(安政4年)に社殿修復。この時も皇室から寄付があった。 明治維新で西園寺家は東京に移転。 1874年(明治7年)式部寮、西園寺家所有の楽器を預かる(1877年(明治10年)11月2日に返却)。 1876年(明治9年)10月、蔵林寺が妙音弁財天像を預かる。11月、巳日講が遷座差し止めを求める。 1877年(明治10年)、妙音像を従来通り祀ることを願う。4月、仏堂として京都府が認可し巳日講に委任。 1878年(明治11年)、竹生島の都久夫須麻神社を勧請する形で、白雲神社と改称した。白雲の名は蛤御門周辺の村名による。 1883年(明治16年)、社務所を新築するが宮内省から撤去命令が出る。 1885年(明治18年)、境内地が御料地となる。 1890年(明治23年)1月14日、前拝所を造成。 1894年(明治27年)3月26日、本殿再建 大正年間、遙拝所建立。 1951年(昭和26年)10月、境内地無償譲渡。 2008年(平成20年)社殿修復。


分社として西園寺流琵琶を相伝した伏見宮家出町妙音堂がある。

(由緒書、「西園寺家の妙音天信仰について」ほか)

境内

京都御苑(国土地理院空中写真より)

資料

  • 「西園寺家文書」:「西園寺家の妙音天信仰について」[2]所収。
  • 荻野三七彦1981「西園寺の妙音天像」『古文書研究』17・18合併号
  • 石原康夫1990『私考弁才天記』
  • 西田かほる1999「西園寺家の妙音天信仰について」[3]
  • 土屋紀慶2003「中世における妙音天:楽と信仰の面から」[4]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%99%BD%E9%9B%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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