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白馬寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年11月19日 (日)

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白馬寺・山門003.jpg

白馬寺は、河南省洛陽市にある中国最古の仏教寺院。重点寺院

目次

歴史

  • 65年(後漢・永平8年):明帝、霊夢に金人が出現しインドに使者を派遣。
  • 67年(後漢・永平10年):インドから摂摩騰(竺摩騰、迦葉摩騰とも)と竺法蘭が白馬に経典と仏像を載せて洛陽に入京。寺院を建立したと伝える。『四十二章経』を漢訳したという。
  • 250年(魏・嘉平2年):インドの曇摩迦羅(曇柯迦羅)が白馬寺に滞在。経典漢訳と共に中国で初めて授戒を行ったという。
  • 252年(魏・嘉平4年):インドの康僧鎧、白馬寺に滞在。『郁伽長者所問経』『仏説無量寿経』などの漢訳に携わった。
  • 286年(晋・太康7年):竺法護、白馬寺で『正法華経』10巻を漢訳。白馬寺の確実な初見か。
  • 南北朝時代:僧旻(467-527)、出家して間もない頃、白馬寺で修行する。
  • 南北朝時代:仏陀扇多(~508~)、白馬寺などで経典の漢訳に携わった。
  • 垂拱年間(685-688)初頭:薛懐義(?-695)、白馬寺主となる。薛懐義は則天武后から帰依を受けた。
  • 貞元年間(785-805)初頭:少康、白馬寺で善導の「西方化導文」を閲覧し感銘を受け、浄土教に帰依するきっかけとなった。
  • 後唐時代:荘宗(在位923-926)、木造の十三層塔(東白馬寺、斉雲寺、斉雲塔)を建立(李中孚碑文)。
  • 992年(宋・淳化3年):改修。
  • 1175年(金・大定15年):彦公が斉雲塔をレンガで再建(李中孚碑文)。
  • 1202年(日本・建仁2年):飛騨守という日本の工匠が栄西と共に白馬寺に赴き建築を学び、建仁寺を建設した。
  • 1333年(元・元統1年):改修。
  • 1390年(明・洪武23年):改修。
  • 1556年(明・嘉靖35年):改修。
  • 1713年(清・康煕52年):改修。
  • 1798年(清・嘉慶3年):僧円朗が斉雲塔を重修。
  • 1990年:タイ内務大臣らが白馬寺を参詣。タイ式寺院の建立の寄付を誓った。
  • 1995年:タイ式仏殿、落慶
  • 2010年5月29日:インド式仏殿落慶。インドのパティル大統領が出席。少林寺住職も法要を勤めた。
  • 2014年6月30日:ミャンマー式仏殿落慶。ミャンマー大統領が出席。
  • 2014年9月26日:タイ式仏殿の改修拡張竣工

境内

中心区画

東側

  • 大雄宝殿
  • 斉雲塔

国際仏殿苑

資料

  • 「唐故白馬寺主翻訳恵沼神塔碑並序」[1]
  • 大谷勝真1911「エム・アッシュ・マスペロ述 「明帝霊夢遣使伝説考」」[2]
  • 那波利貞1920「白馬寺の沿革に関する疑問」[3]
  • 常盤大定・関野貞1926『支那仏教史蹟』「白馬寺」[4]
  • 新野岩男1973「岡倉覚三・早崎〓吉と洛陽白馬寺の石造菩薩」『仏教芸術』90
  • 小田義久1979「洛陽の白馬寺について」『東洋史苑』13
  • 望月海淑1991「レポート白馬寺管見」[5]
  • 織田顯祐・宮井里佳2004「李〔ヨウ〕撰「唐故白馬寺主翻訳恵沼神塔碑並序」について」『文芸論叢』62
  • 藤原崇人2023「宋元時代華北の都市名刹:釈源・洛陽白馬寺を中心に」『アジア遊学』280
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%99%BD%E9%A6%AC%E5%AF%BA」より作成

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