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百済大寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
百済大寺
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'''百済大寺'''(くだら・おおでら)は、大和国十市郡にあった[[古代寺院]]。[[大安寺]]の前身で、[[熊凝精舎]]の後身とされる。跡地は奈良県桜井市の'''吉備池廃寺'''とするのが定説。[[大安寺関連旧跡]]。(参考:同名寺院[[百済寺_(同名)]]) 被災痕跡は見つかっておらず舒明11年の焼失記事は史実ではないとみられる 舒明天皇が発願したが、起工から2年で崩御し、主体は皇極天皇が担ったとみられる。 かつては、つたもと神社周辺が跡地であり吉備池周辺は瓦窯跡と推定されていたが、発掘調査では吉備池の堤が巨大な塔基壇と金堂基壇を再利用したものと判明。一方、つたもと神社周辺からは瓦は出土するも明確な寺院遺構は発見されていない。 吉備池廃寺跡から出土した瓦は規模に対して少なく、再利用された可能性がある。 ==伽藍== 法隆寺式伽藍配置。 幅156.2m、奥行き53.5mの回廊の中に、東に金堂、西に塔があった。回廊の外の北側に講堂や僧房があったと見られている。 *金堂: *塔: *講堂:遺構は吉備池で消滅した可能性がある。 [[category:奈良県]]
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