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相模・六所神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
相模・六所神社
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'''六所神社'''(ろくしょ・じんじゃ)は、神奈川県中郡大磯町(相模国余綾郡)にある神社。相模国[[総社]]。祭神は[[稲田姫命]]。[[素盞嗚命]]・[[大己貴命]]を合祀する。寒川神社などの祭神も合祀しているはずだが不詳。一宮[[寒川神社]]などの神輿が集う国府祭が有名。[[関東祈祷所]]か。郷社。旧称は'''柳田大神'''、'''柳田野六所宮'''。[[相模国府祭関連旧跡]]。(参考:同名神社[[六所神社]]) == 歴史 == 崇神天皇2年、出雲国から分霊して創建したと伝える。柳田大神と称していた。国府が余綾郡に移転すると相模国[[一宮]]の[[寒川神社]]、二宮の[[川勾神社]]、三宮の[[比々多神社]]、四宮の[[前鳥神社]]、五宮に準する[[平塚八幡宮]]が合祀されて六所神社と称した。ただし、相模国府の所在は不詳で、移転があったかも明らかでない。 中世には鎌倉幕府の祈願所として重視された。1180年(治承4年)、駿河国に向かう途中の[[源頼朝]]が「相模国府六所宮」に着いたと『吾妻鏡』にある。1192年(建久3年)の[[勝長寿院]]で行われた鎌倉幕府による[[後白河法皇]]四十九日忌に「六所宮」の僧も出仕したという。また北条政子の実朝出産の時に頼朝が安産祈願した神社の中に「惣社 柳田」が記されている。 1505年(永正2年)、1544年(天文13年)には後北条氏により社殿が修復されている。1591年(天正19年)、[[徳川家康]]は朱印地50石を寄進した。 近世の別当は[[真言宗]]真勝寺(現在は[[東寺真言宗]])で、その他、国府新宿の宝積院と蓮華院、国府本郷の宝前院、寺坂村の王福寺が供僧として奉仕した。 (国史大辞典、日本歴史地名大系) [[category:神奈川県]]
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