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相模・勝福寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2015年9月17日 (木)

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'''勝福寺'''(しょうふくじ)は、神奈川県小田原市にある[[観音信仰]]の[[真言宗]]寺院。[[道鏡旧跡]]。[[坂東三十三所観音霊場]]の第5番札所。本尊は'''十一面観音'''。[[真言宗東寺派]]。'''飯泉山勝福寺'''、'''飯泉観音'''、'''弓削寺'''、'''飯泉寺'''ともいう。(参考:同名寺院[[勝福寺]])
'''勝福寺'''(しょうふくじ)は、神奈川県小田原市にある[[観音信仰]]の[[真言宗]]寺院。[[道鏡旧跡]]。[[坂東三十三所観音霊場]]の第5番札所。本尊は'''十一面観音'''。[[真言宗東寺派]]。'''飯泉山勝福寺'''、'''飯泉観音'''、'''弓削寺'''、'''飯泉寺'''ともいう。(参考:同名寺院[[勝福寺]])
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本尊は毘首羯磨作と伝わるもので、天平勝宝5年(753)に[[鑑真]]が孝謙天皇に献上し、天皇は道鏡に下賜した。道鏡が[[下野薬師寺]]に向かう途中に、相模に祀ったのが始まりという。天長7年(830)に現在地に移転。『吾妻鏡』にも弓削寺の名前で登場。『和漢三才図会』には飯泉寺とある。小田原城主大森氏が当寺を鬼門守護と定めて、現在名になったという。(『古寺名刹大辞典』)
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本尊は毘首羯磨作と伝わるもので、天平勝宝5年(753)に[[鑑真]]が孝謙天皇に献上し、天皇は道鏡に下賜した。道鏡が[[下野・薬師寺]]に向かう途中に、相模に祀ったのが始まりという。天長7年(830)に現在地に移転。『吾妻鏡』にも弓削寺の名前で登場。『和漢三才図会』には飯泉寺とある。小田原城主大森氏が当寺を鬼門守護と定めて、現在名になったという。(『古寺名刹大辞典』)
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2015年9月17日 (木) 時点における最新版

勝福寺(しょうふくじ)は、神奈川県小田原市にある観音信仰真言宗寺院。道鏡旧跡坂東三十三所観音霊場の第5番札所。本尊は十一面観音真言宗東寺派飯泉山勝福寺飯泉観音弓削寺飯泉寺ともいう。(参考:同名寺院勝福寺

本尊は毘首羯磨作と伝わるもので、天平勝宝5年(753)に鑑真が孝謙天皇に献上し、天皇は道鏡に下賜した。道鏡が下野・薬師寺に向かう途中に、相模に祀ったのが始まりという。天長7年(830)に現在地に移転。『吾妻鏡』にも弓削寺の名前で登場。『和漢三才図会』には飯泉寺とある。小田原城主大森氏が当寺を鬼門守護と定めて、現在名になったという。(『古寺名刹大辞典』)

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