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相馬山
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
相馬山
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<googlemap version="0.9" lat="36.458569" lon="138.915424" type="terrain" zoom="13" width="800" height="500" controls="large"> http://maps.google.co.jp/maps/ms?&msa=0&output=nl&msid=208806612508013451037.0004a7df194774fe5f59f </googlemap> [[榛名山]]の外輪山。標高は1411m。由緒によると古くから[[榛名神社]]末社として黒髪山神社が祀られていた。[[木曽御嶽信仰の霊山]]としては、1868年(明治1年)頃の開山と推定されている(『木曽のおんたけさん』142)。1880年(明治13年)に新田邦光が付近を布教し、近辺の御嶽講は[[神道修成派]]に所属した。1882年(明治15年)、「黒髪山大山祇命」の疫病流行の託宣が的中し、相馬山信仰普及の要因となった。同年、神道修成派の行者、'''南和重郎'''(光正霊神)と'''村上喜造'''(喜元霊神)が神社創建を発起。翌1883年(明治16年)、山頂に'''奥宮'''を創建し、1889年(明治22年)12月に'''里宮'''を創建した。里宮から山頂までの登山道があったが、戦後に廃絶した。現在、里宮と奥宮は別法人となっている。 '''里宮(黒髪神社、黒髪山神社)'''([[黒髪山神社里宮]])(群馬県北群馬郡榛東村広馬場3615)は、伊香保街道柏木宿の郊外に創建された。祭神は修成大神・相馬山大神。1882年(明治15年)10月28日、南和重郎と村上喜造は神道修成派教庁に「祠宇」創建を上申。近村の協力を得て進められ、1886年(明治19年)に着工。1887年(明治20年)10月に竣工、1889年(明治22年)12月に鎮座した。神道修成派'''上野祠'''と称した。境内には'''有栖川宮神社'''がある。1897年(明治30年)ごろ有栖川宮熾仁親王より平癒祈願がなされたのに因むという。 '''奥宮(黒髪山神社)'''([[黒髪山神社奥宮]])(群馬県高崎市榛名湖町844)は、相馬山頂上にある。祭神は「大山津見神」である。南和重郎と村上喜造が、榛名村の佐藤家および榛名神社の協力を得て、1883年(明治16年)、本殿拝殿を建立。境内には'''相馬山大神像'''や'''御嶽大神像'''や霊神碑がある。直下にも霊神碑が多数ある。戦後、神社本庁所属となり、榛名神社が管理している(奥宮立札)。 かつては里宮から黒髪尾根を通って相馬山に登拝する表口登山道があった。しかし、敗戦後、米軍が山麓を接収して演習場を設置し、その後も自衛隊演習場となり、登山道は廃道となった。ガラメキ温泉近くの登山口には「黒髪山表口」碑(1881年(明治14年)建立)があり、'''黒髪山表口霊場'''(仮称)がある。摩利支天、黒髪山不動明王、三十六童子、八大童子および霊神碑が祀られている。道標なども残存している。 現在の参道は山上のヤセオネ峠道、松之沢峠道である。松之沢峠道にある'''スルス岩'''(摺臼岩、磨墨岩)には石仏がある。岩下には'''行人洞'''があり、役行者・不動明王や豊山霊神百回登拝碑がある。両道合流地点が登山口で、登山道には霊神碑や石祠が祀られ、八海山や三笠山も祀られている。 (小山友孝「相馬山をめぐる庶民信仰II」、『榛東村史』、奥宮立札) <gallery> ファイル:soumasan_001.jpg ファイル:soumasan_002.jpg </gallery> [[category:群馬県]]
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