ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

真岡神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年3月2日 (月)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
 
(間の2版分が非表示)
1行: 1行:
-
'''真岡神社'''は、樺太庁真岡支庁真岡郡真岡町にあった神社。[[県社]]。[[北海道・樺太の神社]]。廃絶。
+
[[ファイル:真岡神社 (3).jpg|thumb|真岡神社拝殿|250px]]
 +
'''真岡神社'''(まおか・じんじゃ)は、樺太庁真岡支庁真岡郡真岡町真岡山手町にあった[[伊勢信仰]]の神社。祭神は[[天照大御神]]・[[豊受姫大神]]。[[県社]]。[[北海道・樺太の神社]]。廃絶。
 +
 
 +
==歴史==
 +
真岡は現在のホルムスク。
 +
明治維新前の創建と伝え、樺太最古の神社とされる。1819年(文政2年)奉納の御手洗鉢、1848年(嘉永1年)奉納の石鳥居、1865年(慶応1年)建設の石灯籠があった。1909年(明治42年)7月、改めて創建。1910年(明治43年)8月31日、樺太庁の神社創立認可を得た。1923年(大正12年)社殿造営が発起され、1925年(大正14年)境内拡張。1932年(昭和7年)6月、地鎮祭。1933年(昭和8年)3月、木造始祭。1934年(昭和9年)6月竣工。7月7日遷座祭を営んだ。竣工に先立ち、1934年(昭和9年)5月10日、県社に列格(『神道史大辞典』には県社列格は「1910年(明治43年)3月」とあるが誤りか)。1945年(昭和20年)8月20日、社司の湖山寛が本殿の軒下で自刃した。(『樺太の神社』)
 +
 
 +
[[ファイル:真岡神社 (1).jpg|thumb|真岡神社鳥居|200px]]
 +
[[ファイル:真岡神社 (2).jpg|thumb|真岡神社社殿|200px]]
 +
[[ファイル:真岡神社 (4).jpg|thumb|真岡神社社殿|200px]]
 +
[[ファイル:真岡神社 (5).jpg|thumb|真岡神社拝殿|200px]]
-
1934年(昭和9年)5月10日県社列格。『神道史大辞典』には県社列格は「1910年(明治43年)3月」とあるが誤りか。「1934年(昭和9年)5月10日」は『北海道神社庁誌』『樺太の神社』による。『昭和13年樺太年鑑』にも1934年(昭和9年)5月とある。
 
[[Category:ロシア連邦サハリン州]]
[[Category:ロシア連邦サハリン州]]

2020年3月2日 (月) 時点における最新版

真岡神社拝殿

真岡神社(まおか・じんじゃ)は、樺太庁真岡支庁真岡郡真岡町真岡山手町にあった伊勢信仰の神社。祭神は天照大御神豊受姫大神県社北海道・樺太の神社。廃絶。

歴史

真岡は現在のホルムスク。 明治維新前の創建と伝え、樺太最古の神社とされる。1819年(文政2年)奉納の御手洗鉢、1848年(嘉永1年)奉納の石鳥居、1865年(慶応1年)建設の石灯籠があった。1909年(明治42年)7月、改めて創建。1910年(明治43年)8月31日、樺太庁の神社創立認可を得た。1923年(大正12年)社殿造営が発起され、1925年(大正14年)境内拡張。1932年(昭和7年)6月、地鎮祭。1933年(昭和8年)3月、木造始祭。1934年(昭和9年)6月竣工。7月7日遷座祭を営んだ。竣工に先立ち、1934年(昭和9年)5月10日、県社に列格(『神道史大辞典』には県社列格は「1910年(明治43年)3月」とあるが誤りか)。1945年(昭和20年)8月20日、社司の湖山寛が本殿の軒下で自刃した。(『樺太の神社』)

真岡神社鳥居
真岡神社社殿
真岡神社社殿
真岡神社拝殿
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%9C%9F%E5%B2%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール