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真田山陸軍墓地
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年2月12日 (水)
真田山陸軍墓地(さなだやま・りくぐん・ぼち)は、大阪府大阪市天王寺区玉造本町にある旧日本軍の陸軍墓地。日本最古の陸軍墓地。個人墓碑の数は軍用墓地で最大。一時期、真田山招魂社があったらしい。三光神社に隣接する。
歴史
1871年(明治4年)に開設。最初の陸軍墓地が設置されたのが大阪だった理由は大阪を陸軍の拠点にする計画があったからである。日本陸軍の創設者である大村益次郎は、戦争で攻撃を受けやすい首都から離れた都市を陸軍の拠点とし、また大阪の都市機能の防衛を重要視して、陸軍の中央機関を大阪に設置することとした。本庁のほか、士官学校や火薬工場、軍病院などを大阪に設置を推進していたが、墓地の設置もその一環であった。しかし、1871年(明治4年)7月の廃藩置県に伴う改革により、御親兵が東京で組織されると従来の大阪を軍事拠点とする方針は変更を余儀なくされた。東京、大阪、鎮西、東北の四鎮台が設置されると、10月には大阪兵部省は廃止となった。
墓地設置と同時に招魂社が創建されたがのち撤去された。
戦時のみでなく平時の事故死者、病死者も埋葬された。個別の墓碑が建てられていたが日露戦争以降は階級ごとの合葬墓碑となった。真田山小学校が設立されたときに大規模な整理が行われた。昭和にはいると、個人墓碑はなくなった。
忠霊塔設立の動きが広まると、仮忠霊堂が建設されたがそのままとなった。
大阪靖国霊場維持会が設立され、のち真田山陸軍墓地維持会と改称した。
(横山篤夫「旧真田山陸軍墓地変遷史」ほか)