ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

矢島招魂社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年7月11日 (火)

矢島護国神社から転送)
移動: 案内, 検索

矢島招魂社は秋田県由利本荘市矢島町城内の八森城跡にある招魂社矢島神社境内。官祭招魂社指定外護国神社。矢島護国神社。

祭神

1979矢島町史[1]

  • 戊辰戦争7柱
  • 日清戦争15柱
  • 日露戦争34柱
  • シベリア出兵2柱
  • 満洲事変5柱
  • 日支事変7柱
  • 大東亜戦争300柱

官祭招魂社時代

典拠は『出羽国風土記』[2]靖国神社合祀は忠魂史または官報で確認。

  • 1片倉良吉:靖国神社合祀。1868年(明治1年)8月13日、角間川で戦死。
  • 2高柳丈右衛門:1868年(明治1年)7月28日戦死。1891年(明治24年)11月5日、靖国神社合祀。
  • 3佐藤信次:1868年(明治1年)7月28日戦死。1891年(明治24年)11月5日、靖国神社合祀。
  • 4金子広次:1868年(明治1年)7月28日戦死。1891年(明治24年)11月5日、靖国神社合祀。
  • 5菅原勇作:靖国神社合祀。1868年(明治1年)9月11日、戸島台で戦死。
  • 6佐藤音作:1868年(明治1年)7月28日戦死。1891年(明治24年)11月5日、靖国神社合祀。
  • 7池田忠八郎貞:靖国神社合祀。1868年(明治1年)閏4月、増田で戦死。忠魂史では秋田藩。

この他、天狗党の乱に参加した矢島藩の土田衡平(靖国神社合祀)がいるが当初祭神には含まれていない。

歴史

  • 1871年(明治4年)7月28日:根井館で招魂祭を執行し戊辰戦争戦死者7柱を祀った(矢島町史)。
  • 不詳:現在地に移転(矢島町史)。
  • 1919年(大正8年):例祭を5月15日に変更(1918年(大正7年)秋田県告示第178号[3]
  • 1939年(昭和14年)4月:矢島護国神社と改称。戦後、矢島招魂社に戻った(矢島町史)。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%9F%A2%E5%B3%B6%E6%8B%9B%E9%AD%82%E7%A4%BE」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール