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石津太神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
石津太神社
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'''石津太神社'''(いわつた・じんじゃ)は大阪府堺市西区浜寺石津町中にある[[えびす信仰]]の神社。祭神は蛭子命・[[天穂日命]]・[[八重事代主命]]。[[官社]]論社。村社。 == 歴史 == 神代、蛭子命が浜辺に漂着して携えてきた「五色の神石」を置いたことから「石津」の地名が生まれたという。[[孝昭天皇]]の時代に社殿を創建して蛭子命を祀った。1736年(元文1年)成立の『石津大社略記』があり、「恵美酒神」を祀るとする。日本最初のえびす神社と称したことから、1768年(明和5年)、摂津の[[西宮神社]]と争論となった。具体的には石津太神社の神札頒布を巡って、西宮神社が差し止めを[[寺社奉行]]に訴えたが、幕府は河内・和泉の旦那場配札を往古からの慣例として認めた。1769年(明和6年)には[[江戸]]の[[湯島天満宮]]で石津太神社のえびす神が出開帳をしている。官社「石津太神社」に比定されるが、他の候補地として東南1kmに[[石津神社]]がある。 主祭神を祀るのは北殿。一方、南殿には北殿には近代以降に合祀した[[建御名方富命]]、[[靱大神宮]]を祀る([[誉田別命]]も?)。 合祀前の北殿と南殿の関係は一考の余地がある。 西500mに位置する石津川北岸に[[石津太神社御旅所|御旅所]]がある。最初にえびす神が漂着した信仰の発祥の地という。 (日本歴史地名大系ほか) [[Category:大阪府]]
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