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祐徳稲荷神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年8月1日 (日)

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祐徳稲荷神社(ゆうとく・いなり・じんじゃ)は、佐賀県鹿島市古枝下古枝(肥前国藤津郡)にある稲荷信仰の神社。県社別表神社


目次

歴史

1662年(寛文2年)、京都花山院家の万子媛が鹿島藩主鍋島家鍋島直朝に輿入れする時、父の左大臣花山院定好から邸内の花山稲荷神社京都御苑・宗像神社内)の分霊を授けられた。1687年(貞享4年)、万子媛は石壁山の現在地に社殿を建てて稲荷神を祀った。1705年(宝永2年)、万子媛は寿蔵を築き没した。 鍋島家の崇敬を受けて修造された。領内の信仰を集め、分社も多く建てられた。1788年(天明8年)の京都の天明大火で祐徳稲荷神社の神使が花山院邸に現れたという。 1871年(明治4年)11月の神仏分離で仏具は鍋島家菩提寺の普明寺に移された。

1875年(明治8年)3月、郷社。 1877年(明治10年)8月、県社列格(神道史大辞典。1879年(明治12年)7月とも)。 1881年(明治14年)命婦神社改築。 1896年(明治29年)遥拝所改築。1898年(明治31年)参籠所・土蔵を改築。 1901年(明治34年)書院改築。

1884年(明治17年)3月、稲梁講社設立。 1920年(大正9年)11月、梨本宮参拝。 別表神社に加列。 1949年(昭和24年)焼失。1957年(昭和32年)再建。

境内

  • 本社:祭神は倉稲魂大神大宮売大神猿田彦大神。懸造の舞台は高さ18m。本殿は1804年(文化1年)再建。1933年(昭和8年)まで使われた。1949年(昭和24年)焼失。1957年(昭和32年)、角南隆設計で現在の社殿を再建。
  • 神楽殿:1966年(昭和41年)建立。祈祷を行う場所。
  • 鹿島明神社:祭神は武甕槌神
  • 岩崎社:祭神は岩崎大神。
  • 若宮社:祭神は鍋島文丸・鍋島朝清。早世した鍋島直朝と万子媛の子。
  • 岩本社:祭神は岩本大神。
  • 石壁社:祭神は万子媛(祐徳院殿)。左大臣花山院定好の娘で、鍋島直朝継室。法名は祐徳院殿瑞顔実麟大姉。神号は万媛命。1687年(貞享4年)に祐徳院を建てた後、1705年(宝永2年)にこの地に寿蔵を建て断食して入定した。石壁神社。
  • 水鏡:万子媛が吉凶を占ったという場所。石壁社の横にある。
  • 命婦社:祭神は命婦大神。稲荷神に使える白狐の霊。1788年(天明8年)の京都の天明の大火の時、花山院邸を鎮火させる。花山院は白狐が官位がないため御所に上がれなかったことを知ると光格天皇に内々に言上すると、天皇は命婦の官位を授ける勅を下したという。その後、山中に社殿を建て、命婦大神として祀ったという。現在の社殿は本社旧本殿で1804年(文化1年)造営。
  • 奥の院:祭神は命婦大神。頂上にある。
  • 奥の院別社:
  • 楼門:


組織

社司・宮司

  • 1鍋島彬智(1836-1899)<1877->:鹿島藩士。鍋島家の一族。1836年(天保7年)(1835年(天保6年)とも)生。1874年(明治7年)佐賀の乱の征討に当たる。1877年(明治10年)、祐徳稲荷神社初代社司となる。藤津郡神職取締所長。1899年(明治32年)死去。墓地は泰智寺。
  • 2
  • 3永田佐次郎(1850-1928)<1904->:鹿島藩士。1850年(嘉永3年)生。弘文館に学ぶ。1868年(明治1年)藩学寮監。1870年(明治3年)大阪兵学寮に入るが、父の死で帰郷。1871年(明治4年)藩兵予備隊長。1880年(明治13年)沖縄県令となった鍋島直彬を補佐。1898年(明治31年)衆議院議員。1904年(明治37年)7月23日祐徳稲荷神社社司。財政再建に尽力し、境内整備を行う。1905年(明治38年)2月7日松蔭神社を兼務。鍋島子爵家の家司。佐賀県神職会副会長。全国に先駆けて神職会館を建設した。1928年(昭和3年)死去。
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  • 6勝屋弘義(1871-1960)<1927-1948>:佐賀県出身。1871年(明治4年)生。鹿島英語学校卒。鍋島子爵家に仕える。1915年(大正4年)祐徳稲荷神社社掌。1927年(昭和2年)社司。1941年(昭和16年)退任するが、1944年(昭和19年)再任。1946年(昭和21年)宮司に改称。初代佐賀県神社庁長。1948年(昭和23年)退任。1960年(昭和35年)6月24日死去。87歳。
  • 7鍋島直玄(1918-)<1948-1965>:鍋島直縄の子。1918年(大正7年)生。1941年(昭和16年)九州帝国大学農学部卒。1942年(昭和17年)農林省肥料統制課勤務。1948年(昭和23年)3月8日、祐徳稲荷神社宮司。1953年(昭和28年)佐賀県神社庁長。1965年(昭和40年)7月28日休職。
  • 8木庭菅根()<1967-1969>:1950年(昭和25年)9月22日祐徳稲荷神社権宮司。1967年(昭和42年)9月7日、祐徳稲荷神社宮司。1969年(昭和44年)12月23日退任。
  • 9鍋島朝純(1914-1988)<1970-1988>:鍋島朝彝の子。1914年(大正3年)生。1934年(昭和9年)皇典講究所神職養成部卒。同年、祐徳稲荷神社出仕。1939年(昭和14年)松岡神社社掌。1950年(昭和25年)祐徳稲荷神社禰宜。1967年(昭和42年)10月5日権宮司。1970年(昭和45年)5月21日、祐徳稲荷神社宮司。1974年(昭和49年)佐賀県神社庁長。1988年(昭和63年)5月4日死去。74歳。
  • 10鍋島朝倫(1937-)<1988-2019>:鍋島朝純の子。1937年(昭和12年)生。1961年(昭和36年)佐賀大学卒。1975年(昭和50年)祐徳稲荷神社禰宜。1978年(昭和53年)6月15日、祐徳稲荷神社権宮司。1988年(昭和63年)6月30日宮司。2019年(令和1年)7月15日退任。
  • 11鍋島朝寿()<2019->:2002年(平成14年)12月25日、祐徳稲荷神社権宮司。2019年(令和1年)7月15日宮司。

資料

  • 小島高踏1905『肥前鹿島祐徳稲荷神社御縁由』[1]
  • 八陣熊一1909『祐徳稲荷神社案内記』[2]
  • 『祐徳稲荷神社由緒記』[3]
  • 山口良吾『祐徳稲荷神社史』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%A5%90%E5%BE%B3%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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