ようこそ『神殿大観』へ。ただいま
試験運用中
です。
神嘉殿
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
神嘉殿
のソース
移動:
案内
,
検索
以下に示された理由により、このページの編集を行うことができません:
この操作は、
利用者
のグループに属する利用者のみが実行できます。
ページ
名前空間にあるページを編集する権限がありません。
このページのソースを閲覧し、コピーすることができます:
[[file:879DF40A-57D2-43EC-83DC-CCE27C1B91AE.jpeg|thumb|400px|皇居の宮中三殿の西に神嘉殿がある(国土地理院空中写真より)]] '''神嘉殿'''は天皇が新嘗祭を執り行う神殿。現在は皇居の[[宮中三殿]]に付属する。 古代は中和院の正殿。 *[[平安宮]]において初めて設置されたと推測され、日本後紀804年8月に暴風雨で中和院西楼が倒れたとあるので、この時点までには神嘉殿も成立していたのだろうとされる。 *1081年、[[白河天皇]]、神嘉殿を[[石上神宮]]に移築。 *1463年、この年を最後に新嘗祭中絶。 *1737年、朝廷この頃から新嘗祭再興に動き出す。幕府と折衝。関白一条兼香が尽力。 *1738年、[[桜町天皇]]、大嘗祭。 *1740年11月24日、新嘗祭復興。[[紫宸殿]]を神嘉殿代とした。この時、古例と異なり、桜町天皇の強い意志で荒妙と和妙が神座のそばに供えられたという。 *1749年11月22日、新嘗祭。[[桃園天皇]]は幼少のため行幸なく内侍が参向した。この時は荒妙和妙は設けられなかった。 *1791年(寛政3年)、光格天皇、神嘉殿を再興。この時はこけら葺きだった。 *1854年(安政1年)焼失。 *1855年、再建。この時、檜皮葺となる。 *東京遷都後は1872年(明治5年)に皇居の山里に造営したが火災で焼失。しばらく御殿がなかった。 *1889年(明治22年)に宮中三殿と共に現在地に設けられた。 *1889年、[[明治天皇]]、[[橿原神宮]]造営のために[[京都御所]]神嘉殿を下賜。 ==造営と旧殿== *石上神宮拝殿 *寛政神嘉殿:1791年(寛政3年)竣工。1854年(安政1年)焼失。 *安政神嘉殿:1855年竣工。東京遷都で神嘉殿の機能を失う。1889年7月23日、新たに造営される橿原神宮の拝殿として下賜され翌年3月31日に竣工。1939年(昭和14年)11月の昭和の大造営で、旧神嘉殿は神楽殿となる。1993年(平成5年)2月4日、神楽殿は失火で焼失。 *明治神嘉殿:1872年(明治5年)に皇居の山里に造営したが火災で焼失。 *[[宮中三殿・神嘉殿]]:1889年(明治22年)に宮中三殿と共に現在地に設けられた。 *橿原神宮神楽殿:1993年(平成5年)に焼失した神楽殿(安政神嘉殿)を1996年(平成8年)に復元再建した。 [[category:京都府]] [[category:東京都]] <gallery widths="300" heights="150" perrow="3"> ファイル:橿原神宮・初期・『神武天皇鳳蹟志』 (1).jpg|旧京都御所神嘉殿(橿原神宮神楽殿) ファイル:橿原神宮・初期・『全国有名神社御写真帖』.jpg|旧京都御所神嘉殿(橿原神宮拝殿) ファイル:橿原神宮・初期・信仰上より観たる神代御系図大観.jpg|旧京都御所神嘉殿(橿原神宮拝殿) ファイル:Sdre-145.JPG|神嘉殿を復元した橿原神宮神楽殿 ファイル:Kashihara-jingu (31).jpg|神嘉殿を復元した橿原神宮神楽殿 </gallery>
神嘉殿
に戻る。
表示
ページ
議論
ソースを表示
履歴
個人用ツール
案内
神殿大観 メイン
神殿大観 総目次
おまかせ表示
検索
ツールボックス
リンク元
関連ページの更新状況
ファイルをアップロード
特別ページ