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神於寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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神於寺(こうのじ)は、大阪府岸和田市神於町にある天台宗寺院。本尊は大日如来修験道当山派正大先達の一つ。鎮守は宝勝権現社。山号は布引山。

歴史

神於山は葛城山系和泉葛城山から少し北に離れたところにある標高296.4mの独立峰。いわゆる神体山として信仰されていたとみられる。 この山に白鳳12年、役小角が新羅から和泉国麻生に飛来した雷神(宝勝化人)を祀ったのが起源という。その後、774年(宝亀5年)、百済僧の光忍が弥勒菩薩を祀って再建。833年(天長10年)に空海が訪れたという伝説がある。『和泉国神名帳』にある「神於社」「神於如法社」は神於寺にあったという。 中世には隆盛して多くの伽藍・霊場があった。鎌倉時代以降の瓦や陶器の断片が各所で見つかっている。1350年(正平5年/観応1年)には寺に立てこもった南朝軍を北朝方の畠山国清が攻めた。1484年(文明16年)、粉河寺の僧兵が根来寺の支援を受け、和泉国に進軍。神於寺を焼き討ちにした。1502年(文亀2年)には神於寺と根来寺が共同で兵を動かしている。永禄年間、三好氏と戦う根来寺を支援して秬谷の根福寺に兵を駐屯。1585年(天正13年)の豊臣秀吉の根来攻めで、神於寺も焼かれた。江戸時代、岸和田藩の支援で復興するがかつての寺観を復するには至らなかった。

伽藍

  • 本堂:廃絶。千手観音は大日堂に遷座。
  • 大日堂:現存。大日如来を祀る。旧本堂本尊の千手観音も祀る。
  • 不動堂:現存。不動明王。旧行者堂の役小角も祀る。
  • 行者堂:廃絶。
  • 宝勝権現社:五社権現とも呼ばれた。

子院

  • 五大院:中世にあった。
  • 奥之坊:中世にあった。
  • 三蔵院:1786年(天明6年)頃に廃絶。天保年間に存在。
  • 高室院:1786年(天明6年)頃には廃絶。
  • 真蔵院:1786年(天明6年)頃には廃絶。
  • 万福院:1786年(天明6年)頃には廃絶。
  • 円蔵院:1786年(天明6年)頃には廃絶。
  • 福智院:天保年間に存在。
  • 中性院:天保年間に存在。
  • 正蔵院:
  • 正明院:
  • 宝寿院:
  • 福蔵院:
  • 谷室院:
  • 竹園院:天保年間に存在。
  • 普賢院:
  • 吉祥院:天保年間に存在。
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