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神職・神道家の旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年1月30日 (日)

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目次

概要

時代別

大和時代

飛鳥時代

奈良時代

平安時代

鎌倉時代

  • 卜部兼方(生没年不詳):学者。卜部氏(平野流)。『釈日本紀』を撰述。
  • 度会行忠(1236-1305):伊勢神道家。外宮禰宜。内宮と外宮が争った皇字論争で、外宮側の中心的役割を果たした。

南北朝・室町時代

  • 度会家行(1256-1356):伊勢神道を大成。外宮禰宜。南朝を支援した。
  • 度会常昌(1263-1339):伊勢神道家。外宮禰宜。
  • 北畠親房(1293-1354):公卿。後醍醐天皇の近臣。南朝の中枢として活躍。『神皇正統記』『職原鈔』などを記す。
  • 忌部正通(生没年不詳):神道家。『神代巻口訣』の著者。
  • 一条兼良(1402-1481):摂政。太政大臣。関白。古典・有職に通じた学者。『公事根源』『日本書紀纂疏』。卜部氏とも親交があり、秘伝の神道説を伝えた。桃華老人三関老人
  • 吉田兼倶(1435-1511):吉田神道の開祖。
  • 荒木田守武(1473-1549):内宮禰宜。伊勢俳諧の祖。飯尾宗祇・宗長を敬慕し、『新撰菟玖波集』に入選。守武霊社に祭られ、現在、伊勢・宇治神社に合祀。弥武彦神霊
  • 清原宣賢(1475-1550):儒学者。神道家。吉田兼倶の三男。交友が広く、若狭武田氏、越前朝倉氏の下にも赴き講義した。絶えかけた吉田神道の学統を吉田兼右に伝えた。彼の神道説を清家神道とも呼ぶ。環翠軒

近世

  • 清順(?-1566):伊勢慶光院住職3世。熊野出身という。諸国を勧進し、宇治橋の造替を実現。後奈良天皇から院号を許された。永禄6年(1563)、外宮の遷宮を復興させた。
  • 周養(?-1611):伊勢慶光院住職4世。正親町天皇の綸旨を得て諸国を勧進し、天正13年、両宮同時の式年遷宮を実施し、約120年ぶりに完全復興を実現させた。織田信長豊臣秀吉からも援助を引き出す。
  • 徳川家康(1542-1616):初代将軍。日光東照宮祭神。東照大権現
  • 天海(1536?-1643):山王一実神道を創始。日光東照宮を創建。慈眼大師
  • 長谷川角行(1541?-1646?):角行系富士信仰の開祖。富士講扶桑教実行教の開祖にも仮託される。
  • 梵舜(1553-1632):僧侶。吉田神道家。吉田家出身。豊国神社造営、徳川家康葬儀に関わる。
  • 林羅山(1583-1657):儒学者。理当心地神道を創唱。
  • 萩原兼従(1588-1660):吉田神道家。
  • 徳川義直(1600-1650):尾張徳川家の祖。林羅山から神道を学ぶ。
  • 河辺精長(1601-1688):神宮大宮司。出口延佳に師事。山崎闇斎に中臣祓を伝授。伊勢神宮の古儀復興に勤め、遷宮の諸制度、摂末社の再興に尽力した。
  • 中江藤樹(1608-1648):儒学者。
  • 池田光政(1609-1682):岡山藩主。熊沢蕃山などの儒学者を登用。閑谷学校を設置。寺請制度に代わり、神道請制度を実施。社寺合併政策を進める。岡山神社閑谷神社祭神。芳烈公武安霊命
  • 保科正之(1611-1672):会津藩主。垂加神道家。土津神社祭神。土津霊神
  • 度会延佳(1615-1690):国学者。外宮権禰宜。現在の皇学館大学につながる豊宮崎文庫を創設。豊宮崎文庫内に霊社があった。出口延佳
  • 吉川惟足(1616-1694):吉川神道の開祖。萩原兼従に師事。初代神道方。山崎闇斎とも交流。
  • 山崎闇斎(1618-1682):垂加神道の開祖。儒学者。垂加霊社
  • 徳川光圀(1628-1700):水戸徳川家2代。水戸学の創始者。彰考館を創設し、『大日本史』編纂を始める。常磐神社祭神。義公高譲味道根命
  • 橘三喜(1635-1703):橘神道を唱える。一樹霊神。墓所は埼玉県さいたま市緑区宮本にある。一樹神社祭神。
  • 身禄(1671-1733):角行系富士信仰の行者。富士講の開祖に仮託される。
  • 熊沢蕃山(1619-1691):儒学者。京都生まれ。息游軒。神儒一致を説く。岡山藩主池田光政に仕えるが、藩の神社政策に関わる。中江藤樹に師事。幕府に嫌疑を掛けられ、『大学或問』により古河に幽閉。
  • 貝原益軒(1630-1714):儒学者。本草家。庶民教育家。福岡藩士。先祖は吉備津神社社家という。いくつかの神社縁起を執筆。神儒一致を旨とした。
  • 契沖(1640-1701):国学者。真言宗僧侶。摂津尼崎生まれ。下河辺長流に師事。円珠庵住職。サンスクリット学に通じ、本居宣長らに大きな影響を与える。
  • 出雲路信直(1650-1703):垂加神道家。下御霊神社神職。山崎闇斎に師事。垂加神道を広め、興隆に導いた。八塩道翁八塩道霊社
  • 大山為起(1651-1713):垂加神道家。伏見稲荷大社社家の出身。山崎闇斎に師事。松山藩主松平定直の招きで味酒神社(現・阿沼美神社)神職となり、松山で教化。境内に自らの魂を祀った生祠「葦水霊社混沌宮」を創建。葦水霊社
  • 浅見絅斎(1652-1711):朱子学者。近江国高島郡出身。山崎闇斎に師事。
  • 正親町公通(1653-1733):垂加神道家。参議、権大納言、武家伝奏を歴任。山崎闇斎に師事し、その死後の中心的人物となる。闇斎の著書『風水草』を後西上皇に献上。風水翁風水軒須守霊社
  • 霊元天皇(1654-1732):第112代天皇<在位1663-1687>。朝廷古儀復興を望み、次の東山天皇のときに大嘗祭復興を実現させた。垂加神道を学んだ。下御霊神社祭神。天中柱皇神
  • 土御門泰福(1655-1717):陰陽家。土御門神道の大成者。
  • 新井白石(1657-1725):儒学者。木下順庵に師事。将軍徳川家宣に仕え、文治政治を推進。古代史研究に合理主義的観点を持ち込む一方、吉田神道には高い評価を与えた。
  • 跡部良顕(1658-1729):垂加神道家。旗本家出身。柳生石舟斎の玄孫。竹下青山に師事。生祠が鹿島神宮内に祭られた。光海霊社
  • 天野信景(1663-1733):国学者。名古屋藩士。吉見幸和とともに『尾張風土記』編纂に従事。実証的に歴史、地理、文学などを考察。『塩尻』が著名。神道関係の著書も多い。晩年は出家して信阿弥陀仏と名乗る。
  • 荷田春満(1669-1736):国学者。
  • 吉見幸和(1673-1761):神道家。名古屋東照宮神職。実証的に古典を研究し、伊勢神道の『神道五部書』を偽書だと実証した。
  • 石田梅岩(1685-1744):石門心学の祖。丹波桑田郡の農家出身。神儒仏道を基礎に道徳を説いた。商業を尊び、正直・倹約を強調した。
  • 賀茂真淵(1697-1769):国学者。
  • 荷田在満(1706-1751):国学者。考証学者。京都生まれ。叔父荷田春満の養子。幕命で大嘗祭を考証し、『大嘗会便蒙』を著す。田安宗武にも仕える。
  • 竹内式部(1712-1767):垂加神道家。宝暦事件で処分され、明暦事件で遠島となり、三宅島で病死。
  • 河村秀根(1723-1792):国学者。名古屋藩士。藩主徳川宗春の小姓として近侍する。吉見幸和にも師事。合理的・考証的な古典研究を確立。
  • 本居宣長(1730-1801):国学者。
  • 栗田土満(1737-1811):国学者。神職。歌人。岡迺舎。遠江の平尾八幡宮社家の出身。賀茂真淵に入門。のち本居宣長に入門。神学的考察を行う。
  • 荒木田経雅(1742-1805):神宮学者。内宮禰宜。本居大平などと交流。『大神宮儀式解』30巻。
  • 荒木田久老(1746-1804):国学者。神宮神職。歌人。賀茂真淵に師事。本居宣長や橘守部などと親交。主著『万葉考槻の落葉』。五十槻園
  • 本居大平(1756-1833):国学者。宣長の養子。
  • 植松有信(1758-1813):国学者。父は名古屋藩の浪人。版木屋を営み、本居宣長の著作を出版したのを契機に師事。
  • 本居春庭(1763-1828):宣長の長男。
  • 荒木田末寿(1764-1828):近世後期の代表的な神宮学者。本居宣長の弟子。平田篤胤とも交流。著書多数。桜屋翁
  • 青柳種信(1766-1835):国学者。福岡藩士。本居宣長の弟子。地理や神社縁起の考証に優れる。
  • 佐藤信淵(1769-1850):
  • 伴信友(1773-1846):国学者。
  • 平田篤胤(1776-1843):国学者。
  • 新庄道雄(1776-1835):国学者。神号は玉鉾雷神(玉鉾霊神の誤りか)。
  • 黒住宗忠(1780-1850):神道家。黒住教の開祖。備前の今村宮社家の出身。文化11年の冬至の朝、太陽を飲み込み、神と一体となる神秘体験を得る。翌年から講釈、禁厭を行い布教。宗忠神社祭神。宗忠大明神
  • 会沢正志斎(1782-1863):水戸学の儒学者。著書『新論』は尊皇攘夷運動に大きな影響を与えた。
  • 岡熊臣(1783-1851):国学者。津和野派の祖。神職。富長山八幡宮祠官。本居宣長に思慕し、門下の千家俊信に入門。平田篤胤にも傾倒するが、入門はできなかった。神葬祭復興運動を起こし、勅許。
  • 足代弘訓(1784-1856):国学者。外宮神職。荒木田久老、本居春庭、本居大平、亀田末雅、芝山持豊に師事。国学、和歌、律令を学ぶ。社会問題への関心も高く飢饉の際に救援活動を行う。
  • 二宮尊徳(1787-1856):思想家。
  • 井上正鉄(1790-1849):禊教の開祖。館林藩士の子。水野南北に易学を学ぶ。念仏からヒントを得た禊行を創始。梅田神明宮神職。「新義異流」として三宅島配流。井上神社祭神。
  • 大国隆正(1792-1871):国学者。津和野藩士。平田篤胤に入門。古賀精里に師事。藩校養老館で、福場美静などを育てる。明治初年の神祇行政に影響を与える。
  • 賀茂規清(1798-1861):神道家。烏伝神道を提唱。賀茂別雷神社社家の梅辻家の出身。弟子に前黒羽藩主の大関増業が出来、支援を受ける。江戸に瑞烏園を開く。政治を批判した罪で、八丈島に遠島。その途中、三宅島で同様に流罪になっていた井上正鉄と交流。
  • 中山みき(1798-1887):天理教の開祖。
  • 平田鉄胤(1799-1880):国学者。平田篤胤の娘婿。
  • 生田万(1801-1837):国学者。館林藩士。志士。平田篤胤に師事。藩政改革を進言するが、受け入れられず追放。越後柏崎で桜園塾を開き、大塩平八郎の乱に触発され決起し、自決。大中道人
  • 後醍院真柱(1805-1879):国学者。鹿児島生まれ。鹿児島藩士。江戸で平田篤胤に入門。藩校造士館の訓導。維新政府では皇学所、大学、教部省に出仕。
  • 伊能穎則(1805-1877):神道家。国学者。歌人。下総国香取郡佐原町出身。平田鉄胤に師事。香取神宮の尚古館学師。明治政府に参画。香取神宮少宮司。
  • 西田直養(1793-1865):国学者。小倉藩士で神理教教祖佐野経彦の師に当たる。幸彦社祭神。伝記類にある「東紫神社」は幸彦社のことか。墓地は日蓮宗本立寺(みやこ町に移転。墓は現存不詳)

近代

  • 権田直助(1809-1887):国学者。志士。医師。武蔵国入間郡の出身。平田篤胤に入門。「皇朝古医道」を提唱。尊皇攘夷運動に携わる。維新政府では大学に出仕し、国学・漢学論争に関わる。国事犯として逮捕。大山阿夫利神社祠官。
  • 有栖川宮幟仁親王(1812-1886):有栖川宮8代当主。幕末に孝明天皇の信任を得る。明治政府に参画し、初代神祇事務総督、神道教導職総裁を務め、祭神論争の終結にあたる。皇典講究所総裁。神道事務局総裁。
  • 金光大神(1814-1883):金光教の開祖。備中の農家の出身。自宅建築を進める中、家族を次々と失う。金神の祟りとして恐れるが、信心を深め神のおかげを知って布教を始める。赤沢文治
  • 鴻雪爪(1814-1904):御嶽教2代管長。彦根藩井伊家菩提寺の曹洞宗清凉寺住職だったが、維新後、宗教行政に関わる過程で還俗。神職となった。虎ノ門金刀比羅宮祠官。
  • 平山省斎(1815-1890):神道大成教の開祖。御嶽教の初代管長も務める。(略歴は神道大成教#組織を参照)
  • 草鹿砥宣隆(1818-1869):国学者。神職。砥鹿神社社家出身。平田篤胤に入門し、三河の平田派の一翼を担う。神職離檀運動を起こし、実現。
  • 青山景通(1819-1891):国学者。苗木藩士。平田家に入門。明治初年、神祇官幹部として神宮改革、神社改革にあたる。三島大社宮司就任、ただちに辞任。
  • 矢野玄道(1823-1887)国学者。平田派の重鎮。
  • 久邇宮朝彦親王(1824-1891):神宮祭主。伏見宮邦家親王の第4王子。青蓮院門跡を経て、天台座主。『神宮明治祭式』制定を上奏。
  • 岩倉具視(1825-1883):政治家。権田直助、落合直亮らの草莽の国学者を糾合。維新政府の首脳となる。福羽美静を重用した。
  • 亀井茲監(1825-1885):津和野藩主。岡熊臣、大国隆正を登用し、養老館で講義させ、津和野派のグループを形成させた。維新政府の神祇行政を主導。
  • 飯田武郷(1827-1900):国学者。東京帝国大学教授。平田家に入門。高島藩士。伊那の国学者と交流。のち脱藩して、岩倉具視の下に集まる権田直助、落合直亮などと結束した。気比神宮諏訪大社貫前神社浅間神社の宮司を歴任。『日本書紀通釈』
  • 黒川真頼(1829-1906):国学者。東京帝国大学教授。桐生の出身。文部省、元老院、宮内省などに出仕。『古事類苑』編纂に参加。帝室博物館や正倉院御物の整理にも貢献。
  • 新田邦光(1829-1902):神道修成派の開祖。
  • 伊藤六郎兵衛(1829-1894):丸山教の開祖。家に伝わる富士講を再興。妻の病気を機会に神託を得て、修行を行った。扶桑教に所属するが、のち神道大教に転属。
  • 久保季茲(1830-1886):国学者。鶴峯戊申に師事。教部省、宮内省に出仕。大神神社大宮司。皇典講究所文学部教授。
  • 福場美静(1831-1907):国学者。津和野藩士。
  • 大石凝真素美(1833-1913):言霊学者。医学や国学を学ぶ。「ますみの鏡」説を創始。出口王仁三郎に影響を与える。
  • 稲葉正邦(1834-1898):神道大教初代管長。幕府老中。淀藩主。子爵。三島大社宮司。明治初年の神社行政に大きな影響力を持ち、神道事務局の設立に関わった。
  • 佐野経彦(1834-1906):神理教の開祖。
  • 栗田寛(1835-1899):歴史学者。水戸の出身。彰考館に出勤して『大日本史』編纂に従事。維新政府では教部省に出仕して、『特選神名牒』編纂を行う。
  • 出口なお(1836-1918):大本の開祖。
  • 芳村正秉(1839-1915):神習教の開祖。
  • 鹿島則文(1839-1901):勤皇家。神職。鹿島神宮大宮司鹿島則孝の長男。鹿島神宮大宮司、伊勢神宮大宮司を歴任。神宮在職中、『古事類苑』編纂、林崎文庫の充実に尽力。蔵書桜山文庫の一部が、昭和女子大学に所蔵。
  • 井上頼国(1839-1914):国学者。高家旗本の出身。平田家に入門。権田直助から古医道を教わる。明治政府に参画し、大神神社少宮司。官職や神社の考証に携わる。『古事類苑』『賀茂真淵全集』を編纂。蔵書は無窮会神習文庫として残る。
  • 久米邦武(1839-1932):歴史家。佐賀藩士の家の出身。東京帝国大学教授となるが、「神道は祭天の古俗」事件で退職。
  • 浦田長民(1840-1893):神道家。神宮少宮司となり、神宮の大改革を実行した。『神宮明治祭式』を編纂。
  • 井上毅(1843-1895):官僚・政治家。熊本藩の家老の子。明治憲法、皇室典範、教育勅語の起草に関わった。
  • 宍野半(1844-1884):扶桑教の教団設立者。国学者。
  • 千家尊福(1845-1918):出雲大社宮司。出雲国造出雲大社教初代管長。
  • 青山直道(1846-1906):苗木藩士。明治初年、藩大参事として領内の廃仏毀釈・神葬祭運動を進める。青山景通の子。
  • 川合清丸(1848-1917):神道家。社会教育家。伯耆の太一垣神社社家の出身。大神山神社権宮司。欧化する日本に危機を感じ、神儒仏を説く。大道社を結成。神仙道にも精通したという。
  • 宮地水位(1852-1904):宮地神仙道の開祖。潮江天満宮社家の出身。
  • 青戸波江(1857-1929):神職。松江売布神社神職家の出身。神宮教院、東京帝国大学で学ぶ。内務省社寺局で神社祭式調査委員。神宮皇学館礼典講師。国学院大学教授。芝大神宮社司。
  • 川面凡児(1862-1929):神道家。稜威会の開祖。現在の神社界で広く行われている禊行は彼が創始し、今泉定助の協力で、神宮奉斎会、大政翼賛会に採用され普及した。薫迺舎
  • 今泉定助(1863-1944):神道家。神宮奉斎会会長。仙台藩士の子。白石神明社佐藤広見の養子となるが離縁。神道事務局生徒寮で学び、丸山作楽の薫陶を受ける。東京帝国大学卒業。『古事類苑』編纂に従事。国学院創設に尽力。
  • 上田万年(1867-1937):東京帝国大学卒業。チェンバレンに師事し、従来の国学を日本語の言語学研究に再構築した。神宮皇学館長。国学院大学長。
  • 出口王仁三郎(1871-1948):大本の開祖。神道家。
  • 筧克彦(1872-1961):公法学者、神道思想家。東京帝国大学卒業。ドイツ留学。帰国して行政法を講じる。独自の神道神学と憲法論を展開した。
  • 加藤玄智(1873-1965):宗教学者、神道学者。東京の浄土真宗寺院の生まれ。東京帝国大学卒業。東大に設置された神道講座を担当した。明治聖徳記念学会を設立。
  • 久邇宮邦彦王(1873-1929):皇典講究所総裁。神宮臨時祭主。朝彦親王の王子。今上天皇の外祖父。
  • 柳田国男(1875-1962):日本民俗学の祖。
  • 河野省三(1882-1963):神職、神道学者。玉敷神社社司。国学院大学出身で、同大学長。同大日本文化研究所を設立。
  • 植芝盛平(1883‐1969):合気道の創始者。武道家。大本の出口王仁三郎に師事し、神道思想を基盤に試合を行わない武道、合気道を生み出した。
  • 折口信夫(1887-1953):民俗学者、国文学者、神道学者。歌人。国学院大学卒業。柳田国男に出会い、民俗学研究に目覚める。古代信仰を独自の観点で考察した。国学院大学教授、慶応義塾大学教授。釈迢空。
  • 友清歓真(1888-1952):神道天行居の開祖。
  • 御巫清直:墓所は伊勢の養草寺墓地

参考文献

  • 國學院大學日本文化研究所編、1999『神道辞典』弘文堂
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%A5%9E%E8%81%B7%E3%83%BB%E7%A5%9E%E9%81%93%E5%AE%B6%E3%81%AE%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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