ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

神道大教

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2019年6月8日 (土) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
移動: 案内, 検索

神道大教は、教派神道教団の一つ。神道の近代史に非常に特殊な位置を占めた。神道教導職を統括した神道事務局の後身。神道事務局との連続性については議論がある。

目次

歴史

組織

歴代管長

  • 1稲葉正邦(1834-1898)<1885-1898>:幕府老中。淀藩主。陸奥二本松藩主丹羽長富の子。1834年(天保5年)5月26日生。淀藩主稲葉正誼の養子となる。1848年(嘉永1年)藩主就任。1863年(文久3年)京都所司代に就任。尊攘派を抑え、八月十八日の政変の成功を支える。1864年(元治1年)幕府老中。翌年、老中を免職となるが、1866年(慶応2年)再び老中に就任。1867年(慶応3年)国内事務総裁。鳥羽伏見の戦いでは中立の立場を取った。1884年(明治17年)子爵。1885年(明治18年)10月、初代管長。1898年(明治31年)7月15日死去。65歳。(朝日日本歴史人物事典)
  • 2稲葉正善(1848-1902)<1898-1902>:館山藩主。岩槻藩主大岡忠恕の次男。1848年(嘉永1年)6月28日生。安房館山藩主稲葉正巳の養子となる。1864年(元治1年)、藩主就任。1898年(明治31年)7月、管長就任。明治35年3月19日死去。55歳。(日本人名大辞典)
  • 3本多康穣(1835-1912)<1902-1912>:膳所藩主。1835年(天保6年)12月6日生。膳所藩主本多康禎の子。兄康融の養子となり,安政3年藩主就任。勤王派藩士を弾圧。1884年(明治17年)子爵。1902年(明治35年)3月、管長。1912年(大正1年)2月28日死去。78歳。 (日本人名大辞典)
  • 4長谷信成(-1921)<1914-1921>:子爵。1914年(大正3年)7月管長就任。1921年(大正10年)11月死去。
  • 5神崎一作(1867-1938)<1925-1938>:神道家。権田直助の弟子。相模国出身。1867年(慶応3年)生。大山阿夫利神社社家の家系に産まれる。東京哲学館,国学院で学ぶ。『古事類苑』の編纂にも関与。1896年(明治29年)神道本局に入局。1925年(大正14年)3月、管長。宗教制度調査委員、神道制度調査委員、宗教教育協議会委員など歴任。1938年(昭和13年)3月3日死去。72歳。(20世紀日本人名事典)
  • 6林五助(-1945)<1939-1945>:1939年(昭和14年)4月管長就任。1945年(昭和20年)3月、戦災で死去。
  • 7森田作次(1887-1964)<1945-1964>:1945年(昭和20年)10月、管長就任。1964年(昭和39年)5月死去。
  • 8品田聖平(-1992)<1964-1992>:1964年(昭和39年)9月管長就任。1992年(平成4年)10月死去。
  • 9大森徳春(-1998)<1993-1998>:1993年(平成5年)3月管長就任。1998年(平成10年)8月死去。
  • 10板倉信之助()<1999-2004>:1999年(平成11年)3月管長就任。以後、管長任期5年とする。
  • 11尾立聖兆()<2004-2009>:2004年(平成16年)7月管長就任。石切神宣大教会。
  • 12木村剛正()<>:奈良うづめ大教会。
  • 13菊池重敏()<2017->:1953年(昭和28年)生。国学院大学文学部神道学科卒業。1978年(昭和53年)、父が創建した北海道北広島市の札幌八幡宮に奉職。1983年(昭和58年)、札幌八幡宮宮司。

(神道大教ウェブサイトより)

所属団体

離脱など

  • 天元教
  • 大神教
  • 徳光教:自然社
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%A5%9E%E9%81%93%E5%A4%A7%E6%95%99」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール