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福島県護国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年7月5日 (水)

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福島県護国神社 (6).jpg

福島県護国神社(ふくしまけん・ごこくじんじゃ)は、福島県福島市駒山の信夫山にある招魂社。祭神は福島県の戦没者と天照皇大御神官祭招魂社内務大臣指定護国神社別表神社。県内の会津若松招魂社相馬招魂社三春招魂社を合祀合併し、信夫山に新たに一社を設け、成立した。黒沼神社に隣接する。社殿は護国神社様式。天照は戦後合祀した祭神で、占領中は大霊神社と称した。信夫山招魂社福島招魂社。(参照:同名神社福島招魂社

目次

祭神

官祭招魂社時代は世良砥徳・牧野茂敬以下419柱が官祭祭神で、西南戦争戦死者の佐川官兵衛以下176柱、戊辰戦争349柱が私祭祭神とされる。 「官祭招魂社人名台帳」『靖国神社誌』(1911年(明治44年))で419柱とあるのも官祭祭神の数。『靖国神社百年史』(1984年(昭和59年))では6万4490柱、「全国護国神社一覧」では6万8512柱とある。天照大神は1947年(昭和22年)合祀。

歴史

福島県護国神社
福島県護国神社
福島県護国神社

岩代国若松県会津郡若松の会津若松招魂社、磐城国磐前県宇多郡黒木の相馬招魂社、磐城国磐前県田村郡三春町の三春招魂社があった。1876年(明治9年)8月、若松県と磐前県は福島県に合併した。 1879年(明治12年)10月4日、三つの招魂社を福島県信夫郡福島北郊の信夫山に遷座合祀し、さらに西南戦争戦没者の神霊を祭り、創建された。 1937年(昭和12年)11月に現在の社殿に造営。1939年(昭和14年)4月1日、内務省告示142号で指定護国神社の最初34社の一つとなり、福島県護国神社と改称。1947年(昭和22年)天照皇大御神を合祀し、大霊神社と改称[1]。1952年(昭和27年)9月18日に福島県護国神社に復した。


  • 1879年(明治12年)10月4日:現在地に相馬招魂社三春招魂社若松招魂社の3社合併。官祭信夫山招魂社(『靖国神社百年史』)
  • 1939年(昭和14年)4月1日:内務大臣指定の「福島県護国神社」となる。(『靖国神社百年史』)
  • 1947年(昭和22年):「大霊神社」と改称(『神道史大辞典』)
  • 1952年(昭和27年)9月18日:復称(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1960年(昭和35年)10月8日:合祀概了奉告祭(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1965年(昭和40年)9月23日:終戦20周年祭(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1970年(昭和45年)4月23日:鹿島灘沖にて戦死者(軍属として認められた者)82柱合祀祭並びに奉告祭(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1970年(昭和45年)5月18日:幣帛料(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1996年(平成8年)7月1日:別表神社に加列(年誌)。


境内

  • 本社:
  • 信夫山天満宮:祭神は菅原道真。1988年(昭和63年)9月創建。東北では初めて太宰府天満宮から分霊を拝戴して祀ったという。
  • 慰霊碑群:
  • 福島県遺族会館:

組織

歴代

  • 富田忍()<>:
  • 飯野盛男()<-1975->:飯野八幡宮宮司。
  • 富田好弘()<>:冨田好弘。羽黒神社宮司。

資料

  • 「信夫山招魂社碑」[2]
  • 『福島県名勝旧蹟抄』「官祭信夫山招魂社」[3]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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