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秋篠寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
秋篠寺
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[[ファイル:AC170355-E78C-45D8-9064-2275D7DDEC77.jpeg|thumb|300px|(国土地理院空中写真より)]] '''秋篠寺'''(あきしのでら)は、奈良県奈良市にある[[薬師信仰]]の寺院。[[大元帥信仰]]でも知られる。 == 歴史 == [[光仁天皇]]の勅願で776年(宝亀7年)、善珠が創建(780年(宝亀11年)の創建ともいう)。平安遷都頃に完成したという。承和年間、常暁が唐から[[大元帥法]]を持ち帰ったが、その尊容は入唐前に秋篠寺の井戸で感得した絵図と同じだった。求法の前に大元帥明王が現れていたとされる(あるいは当寺ではなく、山城の[[法琳寺]]ともいう)。かつては大規模で[[西大寺]]と寺領を巡って争った。1135年(保延1年)、兵火で創建当時からあった講堂(現在の本堂)を残して焼失し、急速に衰退した。1926年(昭和1年)に法相宗から[[真言宗]]に転じ、[[醍醐寺]]末となる。明治初年(あるいは近世)には[[浄土宗西山派]]となった。1949年(昭和24年)、単立寺院。現在、本堂、大元堂、開山堂、善珠の墓があり、鎮守の[[八所御霊神社]]がある。本尊は鎌倉時代後期の作という。帝釈天像、伎芸天像、日光月光菩薩像などの古像が有名。金堂跡、東塔跡、西塔跡が残る。大元帥明王が現れた井戸は香水閣と呼ばれ、1871年(明治4年)まで宮中の[[後七日御修法]]の香水として用いられていたという。(平成16年由緒書、金岡秀友昭和56『古寺名刹大辞典』) <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> file:秋篠寺001.jpg| file:秋篠寺002.jpg| file:秋篠寺003.jpg| file:秋篠寺004.jpg| file:秋篠寺005.jpg| file:秋篠寺006.jpg| file:秋篠寺007.jpg| file:秋篠寺008.jpg| file:秋篠寺009.jpg| file:秋篠寺010.jpg| file:秋篠寺011.jpg| file:秋篠寺012.jpg| file:秋篠寺013.jpg| file:秋篠寺014.jpg| file:秋篠寺015.jpg| </Gallery> [[category:奈良県]]
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