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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

秋篠寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年1月10日 (木)

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秋篠寺(あきしのでら)は、奈良県奈良市にある薬師信仰の寺院。大元帥信仰でも知られる。

歴史

光仁天皇の勅願で776年(宝亀7年)、善珠が創建(780年(宝亀11年)の創建ともいう)。平安遷都頃に完成したという。承和年間、常暁が唐から大元帥法を持ち帰ったが、その尊容は入唐前に秋篠寺の井戸で感得した絵図と同じだった。求法の前に大元帥明王が現れていたとされる(あるいは当寺ではなく、山城の法琳寺ともいう)。かつては大規模で西大寺と寺領を巡って争った。1135年(保延1年)、兵火で創建当時からあった講堂(現在の本堂)を残して焼失し、急速に衰退した。1926年(昭和1年)に法相宗から真言宗に転じ、醍醐寺末となる。明治初年(あるいは近世)には浄土宗西山派となった。1949年(昭和24年)、単立寺院。現在、本堂、大元堂、開山堂、善珠の墓があり、鎮守の八所御霊神社がある。本尊は鎌倉時代後期の作という。帝釈天像、伎芸天像、日光月光菩薩像などの古像が有名。金堂跡、東塔跡、西塔跡が残る。大元帥明王が現れた井戸は香水閣と呼ばれ、1871年(明治4年)まで宮中の後七日御修法の香水として用いられていたという。(平成16年由緒書、金岡秀友昭和56『古寺名刹大辞典』)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%A7%8B%E7%AF%A0%E5%AF%BA」より作成

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