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笹井観音堂

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年9月16日 (土)

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'''笹井観音堂'''は、武蔵国入東郡(埼玉県狭山市)笹井にあった[[修験道]][[本山派]]の寺院。本山派[[二十七先達]]の一つ。廃絶。泊山寺。
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'''笹井観音堂'''は、武蔵国入東郡(埼玉県狭山市)笹井にあった[[修験道]][[本山派]]の寺院。本尊は[[十一面観音]]。本山派[[二十七先達]]の一つ。廃絶。'''泊山寺'''。'''篠井観音堂'''、'''佐々井観音堂'''、'''左西観音堂'''。山号は瀧音山。
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== 歴史 ==
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大同2年、[[役小角]]が修行中、瀧の上にに[[不動明王]]が出現。不動像を彫って祀ったのが起源。
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永久年間、[[園城寺]]行尊が復興。[[白河上皇]]から賜った十一面観音を祀った。文明18年、[[聖護院門跡]]道興の東国巡拝で滞在。天正19年、[[徳川家康]]が10石寄進神仏分離で廃絶。(日本歴史地名大系)
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[[category:埼玉県]]
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2017年9月16日 (土) 時点における最新版

笹井観音堂は、武蔵国入東郡(埼玉県狭山市)笹井にあった修験道本山派の寺院。本尊は十一面観音。本山派二十七先達の一つ。廃絶。泊山寺篠井観音堂佐々井観音堂左西観音堂。山号は瀧音山。

歴史

大同2年、役小角が修行中、瀧の上にに不動明王が出現。不動像を彫って祀ったのが起源。 永久年間、園城寺行尊が復興。白河上皇から賜った十一面観音を祀った。文明18年、聖護院門跡道興の東国巡拝で滞在。天正19年、徳川家康が10石寄進神仏分離で廃絶。(日本歴史地名大系)

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