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紀伊国分寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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+ | 741年(天平13年)の聖武天皇の勅命により紀伊国分寺が創建された。 | ||
+ | 879年(元慶3年)に焼失したがすぐに再建され、12世紀後半まで国分寺として機能したという。 | ||
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+ | 寺域は2町(220m)四方で、伽藍は寺域の中心軸から西にずれている。東北に日吉神社がある。 | ||
+ | 1972年(昭和47年)から1975年(昭和50年)にかけて調査。1998年(平成10年)と2000年(平成12年)にも調査されている。 | ||
+ | 1988年(昭和63年)から2002年(平成14年)秋にかけて史跡の保存整備事業が行われ、「史跡紀伊国分寺跡歴史公園」となった。 | ||
+ | 隣接地に紀の川市歴史民俗資料館が建てられた。 | ||
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+ | 金堂・講堂・鐘楼跡からは瓦積基壇が見つかった。 | ||
+ | 僧房は2度再建された跡が見つかった。塔は七重塔とみられ、17個全ての礎石が見つかった。 | ||
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2022年6月11日 (土) 時点における版
紀伊国分寺は、紀伊国那賀郡(和歌山県紀の川市東国分)にあった諸国国分寺の一つ。跡地に現・紀伊国分寺がある。紀伊国分尼寺の跡地は確定していないが西国分廃寺とする説がある。
741年(天平13年)の聖武天皇の勅命により紀伊国分寺が創建された。 879年(元慶3年)に焼失したがすぐに再建され、12世紀後半まで国分寺として機能したという。
寺域は2町(220m)四方で、伽藍は寺域の中心軸から西にずれている。東北に日吉神社がある。 1972年(昭和47年)から1975年(昭和50年)にかけて調査。1998年(平成10年)と2000年(平成12年)にも調査されている。 1988年(昭和63年)から2002年(平成14年)秋にかけて史跡の保存整備事業が行われ、「史跡紀伊国分寺跡歴史公園」となった。 隣接地に紀の川市歴史民俗資料館が建てられた。
金堂・講堂・鐘楼跡からは瓦積基壇が見つかった。 僧房は2度再建された跡が見つかった。塔は七重塔とみられ、17個全ての礎石が見つかった。