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紫禁城
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
紫禁城
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'''紫禁城'''(しきんじょう)は、中国[[北京]]にあった明清の宮城。 <!-- 明代の五祀 ・西角楼では、城内の各門を守護する門神を孟秋に祀った。 ・現在の伝心殿の場所にあった内府大庖厨の前道で竈神を孟夏に祀った。また各厨房に竈神が祀られた。坤寧宮にも現存? ・現在の伝心殿の前にあった大庖井で孟冬に井戸の神を祀った 清でも毎年10月に井戸の神を祀った --> ==一覧== *城内外に[[関帝廟]]が200以上あった。 ===外朝=== ====三大殿地区==== *'''太和殿''':紫禁城の正殿。 *中和殿 *保和殿 ====文華殿地区==== *文華殿 *伝心殿:[[三皇五帝]]と[[孔子]]を祀る。太和殿の東南、文華殿の東側にある。清代の康熙年間に、中央に[[伏羲]]、[[神農]]、[[軒轅]],[[堯]]、[[舜]],[[禹王]]、[[湯王]]、[[文王]]、[[武王]]の位牌を祀り、東に[[周公]]、西に孔子をまつった。 *佑国殿:明代にあった[[道教]]施設。[[玄武大帝]]を祀る。遺構は残っていない。 *聖済殿:明代にあった道教施設。現在の文渊閣の場所にあった。三皇歴代名医を祀る。 *馬神廟:明代にあった。東華門内の北側にあった。 ====武英殿地区==== *武英殿 ===内廷中央=== ====後三宮地区==== *'''乾清宮''':内廷の正殿。 **祀孔処:乾清宮の東南隅にある[[孔子]]や先賢先儒を祀る祭壇。 **薬王堂:乾清宮の東側にある祭壇。伏羲、神農、薬皇と称した黄帝、孫思バク、華陀、扁鵲、ヒトウ、三韋氏、呂洞賓、李時珍などを祀った。'''薬王殿'''とも。 *交泰殿:乾清宮と坤寧宮の間にある宮殿。 *坤寧宮:明代は皇后の寝殿であったが、清代になると満洲族の宗教儀礼のための祭場となった。 ====御花園==== *欽安殿:御花園の中心宮殿で、坤寧宮の真北にある。道教施設。紫禁城の中心軸上にある唯一の宗教建築。明代の創建で当時の建築が現存。[[真武大帝]](玄武大帝、玄天上帝)を祀る。他に10の神座がある。永楽年間に建てられ、嘉靖14年に垣を巡らせた。正門を「天一門」という。元旦には門内に斗壇を設置し、皇帝が焼香した。 *四神祠:御花園内の西側にある。明の嘉靖15年の建立。独特の八角形の平面を持つ。四神を祀る。四神とは風神、雲神、雷神、雨神の四神とも、青龍、白虎、朱雀、玄武の四神ともいう。 *位育斎:御花園内の西北にある。明代に建てられ、'''対育軒'''と称した。嘉靖年間に'''玉芳軒'''と改称し、清代になって位育斎と変えた。雍正年間に仏堂に改造された。 ===内廷東側=== ====北五所==== ====東六宮地区==== *東六宮 *天穹宝殿:東六宮の東隣にある。明代の創建で'''玄穹宝殿'''と言った。[[玉皇大帝]](昊天上帝)を祀る。また玉帝、太乙天尊、呂祖、老子、九天、紫陽真人などの画像や道教経典があった。清の順治年間に改築。康煕帝の諱を避けて、'''天穹宝殿'''と改称。同治帝、光緒帝が祈雪・祈晴の祈願を行った。 ====奉先殿地区==== *奉先殿:太和殿の北東にある。明清の皇室の家廟。明代に創建され、清代もこれを継承し、順治14年(1657)再建。前殿と後殿がある。前殿は桁行九間、奥行四間、建坪は1225㎡。後殿は桁行九間、奥行二間、建坪は755㎡で内部は「同殿異室」となっていて九室それぞれに神牌が奉安されている。正門を奉先門という。 *斎宮:奉先殿の西側にある。皇帝が[[天壇]]や[[地壇]]での祭祀の前に斎戒を行った場所。元々明代と清初期には宮外にあったが、雍正帝が雍正9年(1731)に宮内に建てた。 *毓慶宮:奉先殿と斎宮の間にある皇子の御殿。 **惇本殿:最初、清の康熙18年(1679)に建てられ、乾隆59年(1794)再建、光緒16年(1890)に修復している。東西暖閣に皇子専用の仏堂 ====寧寿宮地区==== *皇極殿:寧寿宮の正殿。 *養性殿:太上皇(退位した皇帝)の寝宮。西暖閣と東西配殿に太上皇用の仏堂が設けられた。 *仏日楼:寧寿宮の東北隅にある。東隣に梵華楼がある。乾隆37年(1772)建立。第一層には密集金剛、上楽金剛、大威徳金剛、喜金剛、時輪金剛、五方仏、[[釈迦如来]]を祀る。第二層には釈迦如来、[[燃燈仏]]、[[弥勒仏]]の三世仏、[[十八羅漢]]、[[四天王]]を祀り、また[[無量寿仏]]の小銅像378体ある。 *梵華楼:寧寿宮の東北隅にある。西隣に仏日楼がある。乾隆37年(1772)建立。第一層には7部屋あり、ある部屋に旃檀仏銅像を祀り、残りの6部屋に壮麗な装飾が施された七宝焼きの仏塔が1基ずつ置かれている。第二層にはある部屋には[[ツォンカパ]]の像があり、残りの6部屋には銅像9体、小銅像122体ずつ祀られており、合計786体あるという。 *頤和軒:楽寿堂の真北にある。乾隆37年(1772)建立。東暖閣に太上皇用の仏堂がある。 *乾隆花園 **萃賞楼:北よりにある。乾隆37年(1772)建立。西隣に雲光楼が接続する。仏堂があった。 **雲光楼:萃賞楼の西隣にある。L字型の平面を持つ。仏堂があった。'''養和精舎'''。 ===内廷西側=== ====西六宮地区==== *西六宮 *重華宮:西六宮の北側にある皇太子の御殿。皇太子専用の仏堂がある。 *崇敬殿:東西暖閣に皇太子専用の仏堂 ====養心殿地区==== *養心殿:太和殿の北西にある。皇帝の寝室。明代嘉靖年間に建立。日常の在所。西暖閣と東西配殿に仏堂が設けられた。 *無梁殿:明代にあった道教施設。養心殿の西南にあった。[[道教]]を信仰した嘉靖帝が錬丹を作ろうとした場所。 ====中正殿地区==== *中正殿:皇帝専用の仏堂。本尊は[[無量寿仏]]。廃絶? **東西配殿: **後殿: *香雲亭: *宝華殿:[[釈迦如来]]。 *梵宗楼:下層に[[文殊菩薩]]、上層に大威徳金剛。 *雨花閣:太和殿の西北にある。大威徳金剛、上楽金剛、密集金剛 **東配楼:乾隆帝の密教の師'''チャンキャ・ホトクト3世'''を祀る。 **西配楼:北京で死去した'''パンチェン・ラマ6世'''を祀る。 *隆徳殿:明代にあった道教施設。清代の中正殿の場所にあった。旧称を'''玄極宝殿'''と言う。隆慶元年夏に'''隆徳殿'''と改称し、三清上帝などの神々を祀った。万暦44年11月焼失したが、天啓7年3月に再建。崇禎6年、中正殿と改称した。 ====寿安宮地区==== *春禧殿: *寿安宮: *英華殿:北端にある。明清代の皇后・妃(皇太后・太妃?)専用の仏堂。明代初期に創建され'''隆禧殿'''と称した。隆慶元年(1567)に改称した。 ====慈寧宮地区==== *慈寧宮: **大仏堂:清代の皇太后・太妃など専用の仏堂。三世仏と十八羅漢を祀る。仏像は[[洛陽]][[白馬寺]]にあったものという。 **西三所 *寿康宮 **東暖閣:皇太后・太妃など専用の仏堂があった *慈寧宮花園 **慈蔭楼:皇太后・太妃など専用の仏堂があった **咸若館:皇太后・太妃など専用の仏堂があった **宝相楼:皇太后・太妃など専用の仏堂があった **吉雲楼:皇太后・太妃など専用の仏堂があった ====その他==== *城隍廟:紫禁城の西北隅、英華殿の隣にある。清の雍正4年に勅命で創建。紫禁城の城隍神を祀る。道光25年に廟としては廃絶したが、建物は残っている。 *馬神廟:城隍廟の東にあった。 ==参考文献== *王宝光、2007「紫禁城里的宗教之儒家聖殿」『人民日報海外版』2007/11/30 *王宝光、2007「紫禁城里的宗教 道教神殿」『人民日報海外版』2007/12/7 *王宝光、2007「紫禁城里的宗教 喇嘛教佛堂」『人民日報海外版』2007/12/14 *王宝光、2007「紫禁城里的宗教 民間俗神」『人民日報海外版』2007/12/21 *故宮博物院ウェブサイト [[category:中華人民共和国北京市|*]]
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