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羅南護国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''羅南護国神社'''(らなん・ごこく・じんじゃ)は、日本領朝鮮の咸鏡北道清津府にあった、戦没者を祀った[[招魂社]]。内地の[[指定護国神社]]に相当とされたとみられる。
'''羅南護国神社'''(らなん・ごこく・じんじゃ)は、日本領朝鮮の咸鏡北道清津府にあった、戦没者を祀った[[招魂社]]。内地の[[指定護国神社]]に相当とされたとみられる。
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1945年(昭和20年)8月15日午前3時、小沢芳邦社司が御神体を奉じて12km山奥の檜郷洞の山中に避難。18日夜、三洞嶺に深さ5尺の穴を掘り、御神体を埋納した(「敗戦直後の海外神社」)。
[[Category:朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道]]
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2020年3月15日 (日) 時点における版

羅南護国神社(らなん・ごこく・じんじゃ)は、日本領朝鮮の咸鏡北道清津府にあった、戦没者を祀った招魂社。内地の指定護国神社に相当とされたとみられる。

1945年(昭和20年)8月15日午前3時、小沢芳邦社司が御神体を奉じて12km山奥の檜郷洞の山中に避難。18日夜、三洞嶺に深さ5尺の穴を掘り、御神体を埋納した(「敗戦直後の海外神社」)。

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%BE%85%E5%8D%97%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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