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羅南護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2020年3月15日 (日) 時点における版
羅南護国神社(らなん・ごこく・じんじゃ)は、日本領朝鮮の咸鏡北道清津府にあった、戦没者を祀った招魂社。内地の指定護国神社に相当とされたとみられる。
1945年(昭和20年)8月15日午前3時、小沢芳邦社司が御神体を奉じて12km山奥の檜郷洞の山中に避難。18日夜、三洞嶺に深さ5尺の穴を掘り、御神体を埋納した(「敗戦直後の海外神社」)。