ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

群馬・新田神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
1行: 1行:
'''新田神社'''は、群馬県太田市にある[[新田義貞]]を祀る[[霊社]]。[[県社]]。(参考:同名神社[[新田神社_(同名)]])
'''新田神社'''は、群馬県太田市にある[[新田義貞]]を祀る[[霊社]]。[[県社]]。(参考:同名神社[[新田神社_(同名)]])
-
1875年3月創建。
+
明治元年3月、岩倉具視が関東征討大総督として中山道を進軍するとき、国学者大島義矩が軽井沢で謁し、新田の支族であることから協力を申し出たが諭された。
 +
同年7月に新田姓に復し由良貞時(新田貞時)に従い上京。
 +
明治7年、新田旧臣30人と共に金山城跡に神社創建を計画。
 +
1875年3月に竣工した。
 +
 
1876年(明治9年)4月、県社列格。
1876年(明治9年)4月、県社列格。
 +
大島義矩は同年7月から明治14年5月まで社掌を務めた。
 +
のち阿久津盛為(のち少教正、群馬県神道事務分局世良田支局長、群馬県下神職取締所長)が務めた
 +
明治25年10月17日、皇太子(大正天皇)立ち寄り幣帛料5円下賜。
 +
(上野人物志[https://www.google.co.jp/books/edition/上野人物志/fdkjtTLZCs4C?hl=ja]
[[category:群馬県]]
[[category:群馬県]]

2022年5月10日 (火) 時点における版

新田神社は、群馬県太田市にある新田義貞を祀る霊社県社。(参考:同名神社新田神社_(同名)

明治元年3月、岩倉具視が関東征討大総督として中山道を進軍するとき、国学者大島義矩が軽井沢で謁し、新田の支族であることから協力を申し出たが諭された。 同年7月に新田姓に復し由良貞時(新田貞時)に従い上京。 明治7年、新田旧臣30人と共に金山城跡に神社創建を計画。 1875年3月に竣工した。

1876年(明治9年)4月、県社列格。 大島義矩は同年7月から明治14年5月まで社掌を務めた。 のち阿久津盛為(のち少教正、群馬県神道事務分局世良田支局長、群馬県下神職取締所長)が務めた 明治25年10月17日、皇太子(大正天皇)立ち寄り幣帛料5円下賜。

(上野人物志[1]

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E3%83%BB%E6%96%B0%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール