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聞得大君御殿

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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1730年、汀志良次村に移転。
1730年、汀志良次村に移転。
1744年焼失。再び読谷山御殿の地に移り明治まで続いた。
1744年焼失。再び読谷山御殿の地に移り明治まで続いた。
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王府解体で尚家の私有となったが、明治末に廃絶となり、神殿は[[中城御殿]]に遷座した。
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(日本歴史地名大系)
== 組織 ==
== 組織 ==
===歴代の聞得大君===
===歴代の聞得大君===

2018年10月31日 (水) 時点における版

聞得大君御殿(ちふいじん・うどぅん)は、沖縄県那覇市首里汀良町にあった聞得大君の神殿及び宮殿。廃絶。現在の首里中学校運動場周辺。何度か移転している。国母宮とも。

歴史

当初は虎頭山南麓にあったが、島津家侵攻で焼失。 読谷山御殿の地に移転。 1706年、大中村に移転。 1730年、汀志良次村に移転。 1744年焼失。再び読谷山御殿の地に移り明治まで続いた。 王府解体で尚家の私有となったが、明治末に廃絶となり、神殿は中城御殿に遷座した。 (日本歴史地名大系)

組織

歴代の聞得大君

(未完)

  • 1月清()<>:尚円王の王女。
  • 安里翁主()<>:王室解体時の大君。尚灝王の王女。大宜見按司朝平室。
  • 安室翁主()<>:最後の聞得大君。尚泰王の王女。伊江朝猷室。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%81%9E%E5%BE%97%E5%A4%A7%E5%90%9B%E5%BE%A1%E6%AE%BF」より作成

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