ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

肥後・本妙寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年11月22日 (月)

移動: 案内, 検索

本妙寺(ほんみょうじ)は、熊本県熊本市西区花園にある日蓮宗寺院。本尊は大曼荼羅加藤清正菩提寺で清正の墓廟浄池廟がある。細川家の祈祷所・菩提所でもある。六条門流の九州総本寺だった。後陽成天皇の勅願寺。紫衣勅許寺院日蓮宗久遠寺派。山号は発星山(元は法性山)。(参考:同名寺院本妙寺

目次

歴史

1583年(天正11年)、加藤清正が父の加藤清忠の菩提寺として日真を招いて大坂に創建。所在地は不詳。当初は瑞龍院と称したという説もある。1588年(天正16年)、清正が熊本に移封すると、日真も従い、最初は熊本城内の旧天台宗三宝院に滞在した。1600年(慶長5年)に寺も移した。本妙寺と改称したのはこの時からとも。1605年(慶長10年)、後陽成天皇の勅願寺となり1606年(慶長11年)、近衛信尹の執奏で永代紫衣を許された。 『国郡一統志』によると、1608年(慶長13年)に本圀寺が本妙寺を「九州本寺」としたとあり、『本化別頭仏祖統紀』にも本圀寺17世日桓(1579-1644)が本妙寺を「九州一派首山」としたとある。日真は身延系の僧侶だが、加藤清正が本圀寺を祈願所としていたことに拠るのだろう。これによって本妙寺の地位は強固なものになった。清正は寺領700石を寄進した。

1611年(慶長16年)6月24日に加藤清正が亡くなると中尾山に葬られた。清正の葬儀は本圀寺日桓を招いて行ったという(『国郡一統志』)。1612年(慶長17年)、一周忌に頓写会が始まる。頓写会の名称は、3回忌の時に大勢が筆を執ることで法華経69384文字を一夜にして写経できたことに由来する。

1614年(慶長19年)、熊本城内の火災で本妙寺が焼失したのを機に加藤清正の廟に移転。1616年(元和2年)、清正七回忌を前に落慶。1632年(寛永9年)、加藤忠広が改易となり、細川忠利が入国する。1633年(寛永10年)300石を寄進し、1634年(寛永11年)、400石に増やした。以後、細川家の祈祷所・連枝位牌所として重視されると共に領民にも日蓮宗を布教した。死後およそ100年を過ぎた享保年間には清正公信仰が浸透し、法華経の守護神としての地位も確立した。1791年(寛政3年)、本堂焼失。1810年(文化7年)清正200年遠忌で本堂など再興。 1868年(明治1年)、浄池廟を神式で祭祀を行い、神仏分離に伴い、1871年(明治4年)に神霊を熊本城内に遷座して加藤神社が創建されるが、浄池廟も存続した。1877年(明治10年)、西南戦争で伽藍焼失。1884年(明治17年)大本堂再建。2016年(平成28年)の熊本地震で被災。

(日本歴史地名大系、寺院ウェブサイト、境内由緒書)

伽藍

本堂ではなく浄池廟を中心として伽藍配置となっている。大本堂から浄池廟に登る参道を胸突雁木と呼ぶ。

  • 大本堂:本尊は大曼荼羅。西南戦争で焼失後、1884年(明治17年)起工し、1894年(明治27年)に落慶した。
  • 法皇閣:本尊は釈迦如来。丈六の立像という。釈迦堂ともいう。
  • 仁王門:1917年(大正6年)建立。鉄筋コンクリート造。
  • 浄池廟加藤清正の墓廟。清正公信仰の総本社。名称は清正の法名「浄池院殿永運日乗大居士」に由来する。拝殿と本殿から構成。本殿内に木像を祀り、その下に遺骸が埋葬されているという。寿像殿もあり、1609年(慶長14年)に制作された最古の像が祀られている。社殿の傍らに浄池公廟碑がある。参道の途中に常夜燈があり、夜闇で熊本城から遥拝する目印にしたという。加藤家の廃絶後、常夜燈もなくなったが、1974年(昭和49年)に市民の篤信者が寄進。
  • 六喜廟:胸突雁木の途中にある。加藤忠広らの墓。傍らに国柱会開祖田中智学撰文揮毫の「六喜廟碑」がある。
  • 良甫鑑墓:浄池廟の傍らにある。良甫鑑は朝鮮出兵で加藤清正が捕虜として連れてきた朝鮮人。側近として仕えた。1617年(元和3年)の清正七回忌に殉死した。「金宦之墓」。
  • 大木兼能墓:浄池廟の傍らにある。大木兼能は加藤清正の重臣。清正死去の翌日に殉死。
  • 清正坊墓:加藤清正の前世といわれる清正坊の墓。清正公信仰の興隆には以前から清正坊への信仰があったという説もある。
  • 北畠雪山墓
  • 栗毛堂:加藤清正の愛馬を祀る。
  • 論語猿:
  • 加藤清正銅像:浄池廟からさらに325段の石段を登ったところにある。台座含め約17m。1935年(昭和10年)に325年祭で建立。彫刻家の北村西望作。1945年(昭和20年)に金属供出で撤去されたが、1960年(昭和35年)4月、350年祭で再び北村西望の手により再建。
  • 津波供養塔:宝篋印塔。1792年(寛政4年)の雲仙岳爆発にともなう大津波の犠牲者を供養する。
  • 常題目堂:本尊は黄金仏。1817年(文化14年)開眼。廃絶?

子院など

  • 本院:
  • 宗務所:
  • 妙心院:
  • 龍渕院:
  • 延寿院:
  • 雲晴院:
  • 本地院:
  • 静明院:
  • 常住院:
  • 東光院:
  • 仙乗院:
  • 智運院:
  • 林蔵院:廃絶か。
  • 元昭坊:廃絶か。
  • 正善院:廃絶か。
  • 妙音坊:廃絶か。
  • 元陽院:廃絶か。
  • 玉泉坊:廃絶か。
  • 唯心院:廃絶か。
  • 蓮浄院:廃絶か。
  • 堯心院:廃絶か。

組織

歴代

  • 1日真(1565-1626)<1585-1608>:慧性。東光院。発星院。妙伝寺12世。下総佐倉出身。1565年(永禄8年)生。久遠寺日乾の弟子。朝鮮出兵にも従軍。1608年(慶長13年)引退。大村純信に招かれ、大村本経寺を創建。肥前島原護国寺、豊後鶴崎法心寺、肥後では府中妙永寺、府中本覚寺、川尻法宣寺、水俣法華寺などを創建。1626年(寛永3年)死去。(1560-1628とも)
  • 2日饒(?-1609)<1608-1609>:妙雲院。1609年(慶長14年)死去。
  • 3日遥(1581-1659)<1609-?>:本行院。通称は高麗上人。朝鮮慶尚道河東の出身。学淵。好仁。1581年(宣祖14年)生。晋州城陥落の翌月、1593年(宣祖26年)7月、13歳の時、路頭に迷っているところを加藤清正軍の兵士に助けられたと伝える。清正の帰国と共に来日し、六条檀林にいた日真の師匠である日乾に預けられ僧となった。身延山飯高壇林で学び、1609年(慶長14年)日饒の死と共に呼び戻され、3代となった。1611年(慶長16年)に清正が亡くなるとその埋葬に関わり、その墓のそばに寺を移した。1659年(万治2年)2月16日死去。79歳。(『日鮮史話』)
  • 4日選(?-1652)<?-1652>:本住院。1652年(承応1年)死去。
  • 5日悠(1621-1698)<1659-1665>:一円院。文省。日遥の弟子。1659年(万治2年)本妙寺住職。
  • 6日潤(1626-1691)<1665-?>:恵雲院。日遥の弟子。
  • 7日顗(1630-1709)<>:玄収院。日悠の弟子。
  • 8日長()<>:久遠院。
  • 9日栄()<>:正心院。
  • 10日堯()<>:寂円院
  • 11日山(1674-1715)<>:好堅院。好賢院。春照。六条32世。本妙寺11世。1715年(正徳5年)6月1日死去。42歳。
  • 12日良(1670-1727)<>:静照院。三恵。六条29世。本妙寺12世。1727年(享保12年)9月29日死去。58歳。
  • 13日念()<>:本住院。
  • 14日證()<>:誠諦院。鷹峰化主か。
  • 15日清()<>:鷲峰院。
  • 16日感()<>:霊智院。1761年(宝暦11年)死去。鷹峰化主か。
  • 17日健(1698-1782)<1760-1774>:諦智院。智健。1760年(宝暦10年)入山。1774年(安永3年)隠居。常照寺5世。
  • 18
  • 19
  • 20日導()<>:一妙院。
  • 21日亮()<>:不染院。
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30上木日褒(1846-)<1906->:福井県出身。1846年(弘化3年)生。1906年(明治39年)本妙寺住職。
  • 31
  • 32日観()<>:一心院。
  • 33
  • 34金崎日柱()<>:一本院。
  • 35
  • 36
  • 37
  • 38
  • 39
  • 40
  • 馬渡日勇()<>:
  • 塩出日等()<>:
  • 池上義豊()<>:
  • 塩出孝潤()<>:
  • 金崎恵厚()<>:
  • 落水泰忍()<>:
  • 池上尊義()<>:
  • 池上正示()<>:
  • 「熊本市本妙寺所蔵 『道元禅師頂相』」[1]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%82%A5%E5%BE%8C%E3%83%BB%E6%9C%AC%E5%A6%99%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール