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胡宮神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年10月6日 (金)

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胡宮神社(このみや・じんじゃ)は、滋賀県犬上郡多賀町敏満寺(近江国犬上郡)にある多賀信仰の神社。多賀大社別宮。祭神は伊邪那岐命伊邪那美命事勝国勝長狭命(滋賀県神社庁ウェブサイト)。重源東大寺復興事業完遂のため胡宮神社で延命を願ったという。神体山とされる青龍山に磐座と奥宮がある。神宮寺として敏満寺があったが廃絶。1886年(明治19年)県社列格。

歴史

  • 飛鳥時代:聖徳太子が敏満寺を創建。聖徳太子建立四十六寺の一つとされる。
  • 1198年(建久9年)12月19日:重源仏舎利を納入した銅製の五重塔を敏満寺に寄進。
  • 1330年(元徳2年)頃:「胡宮神社文書」に「木宮両社拝殿六間」とあり、胡宮神社が敏満寺の鎮守社として存在していたとみられる。
  • 1332年(元弘2年/正慶1年):合戦の兵火で敏満寺は炎上
  • 1346年(正平1年/貞和2年)8月:足利氏が再建。
  • 1335年(建武2年)12月26日:足利尊氏、禁制を下す
  • 1353年(正平8年/文和2年)10月18日:後光厳天皇、垂井行宮を出て京都に戻る途中に敏満寺に宿泊。
  • 1430年(永享2年)頃:猿楽「敏満寺座」があった。『申楽談儀』に記述。
  • 1562年(永禄5年):浅井長政の兵火で焼失。
  • 1572年(元亀3年):織田信長の兵火で焼失。敏満寺は廃絶。福寿院のみ残り、胡宮神社の別当として存続する。
  • 1585年(天正13年):豊臣秀吉、大日堂を再建。
  • 1638年(寛永15年):徳川家光、本殿や大日堂を再建。
  • 1800年(寛政12年):多賀大社と本末争論
  • 1808年(文化5年):多賀大社と本末争論
  • 1886年(明治19年):県社に昇格。

境内

  • 本社:
  • 斎館:
  • 小祠:
  • 小祠:
  • 熊野神社:
  • 寿命石
  • 枕石:
  • 御池:
  • 磐座:青龍山の山上にある。
  • 奥宮:磐座の片隅にある。龍宮とも。
  • 大日堂:本尊は大日如来敏満寺の本尊)。地蔵菩薩像も祀る。浅井長政の兵火で焼失後、1585年(天正13年)に豊臣秀吉が再建。1638年(寛永15年)9月14日、徳川家光が再建。
  • 観音堂:本尊は石仏聖観音。揚子観音と呼ばれ、鎌倉時代初期の作で自然石に線刻している。両側に西国霊場の観音像を祀る。1638年(寛永15年)造営。1699年(元禄12年)修復。1797年(寛政9年)現在地に移築。
  • 石仏:
  • 旧福寿院:
  • 石仏谷墓地:貴重な中世墓碑群。
  • 後光厳天皇行在所跡碑:後光厳天皇の行在所。
  • 焼石塚
  • 大門御旅所
  • 八幡神社:境外社
  • 稲荷神社:境外社
  • 川岸神社:境外社
  • 仮屋神社:境外社
  • 小山神社:境外社
  • 原田天満宮:境外社

画像

http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%83%A1%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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