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膳所護国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年1月25日 (水)

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本殿

膳所護国神社(ぜぜ・ごこく・じんじゃ)は滋賀県大津市御殿浜の膳所城浜御殿跡にある招魂社官祭招魂社指定外護国神社。旧称は膳所招魂社。通称は茶臼山招魂社丹保宮滋賀・本多神社境内にある。

歴史

本殿

1870年(明治3年)1月創建(靖国神社誌)。 郷土史によると鎮座日は1月21日で、膳所藩主本多康穣によって当初は西1.2kmにある茶臼山に建てられた。膳所城事件殉難者11柱を祀った。 1878年(明治11年)、明治天皇巡幸にあたり、祭粢料が下賜され、結社を作り私祭とした。 1881年(明治14年)4月23日、官祭となり、山口藩軍勢に加わり幕末の戦闘で殉難した3柱を合祀した。 1900年(明治33年)11月5日、本多神社境内の現在地に遷座。 1914年(大正3年)10月、「旧膳所藩烈士之碑」を建立。 1948年(昭和23年)3月18日、丹保宮と改称した。 1965年(昭和40年)10月21日、烈士100年祭が執り行われた。

祭神

  • 保田正経():膳所事件殉難者。膳所藩中老職。安昌寺で切腹。墓所は膳所安昌寺官修墳墓
  • 田河武整():膳所事件殉難者。膳所藩中老職。安昌寺で切腹。墓所は膳所安昌寺官修墳墓。
  • 阿閉信足():膳所事件殉難者。膳所藩中老職。安昌寺で切腹。墓所は膳所安昌寺官修墳墓。
  • 槙島光明():膳所事件殉難者。膳所藩士。安昌寺で切腹。墓所は膳所安昌寺官修墳墓。
  • 森祐信():膳所事件殉難者。膳所藩士。牢屋敷で斬首。墓所は膳所岡山官修墳墓(南側)。
  • 高橋幸佑():膳所事件殉難者。膳所藩士。牢屋敷で斬首。墓所は膳所岡山官修墳墓(南側)。
  • 高橋正功():膳所事件殉難者。膳所藩士。牢屋敷で斬首。墓所は膳所岡山官修墳墓(南側)。
  • 関敏樹():膳所事件殉難者。膳所藩士。牢屋敷で斬首。墓所は膳所岡山官修墳墓(北側)。
  • 渡辺緝():膳所事件殉難者。膳所藩士。牢屋敷で斬首。墓所は膳所岡山官修墳墓(北側)。
  • 深栖当道():膳所事件殉難者。膳所藩士。牢屋敷で斬首。墓所は膳所岡山官修墳墓(南側)。
  • 増田正房():膳所事件殉難者。膳所藩士。牢屋敷で斬首。墓所は膳所岡山官修墳墓(北側)。
  • 粟屋達道():脱藩して山口藩軍に加わった膳所藩士。1864年(元治1年)7月19日、禁門の変の時、堺町御門内で戦死。24歳。墓所は霊山官修墳墓
  • 村田豊綏():脱藩して山口藩軍に加わった膳所藩士。幕府の長州征伐の際、山口藩勢の一隊を率いて戦ったが敗退したためその責により割腹した。墓所は山口県光市の曹洞宗長徳寺。
  • 沢島正〓():脱藩して山口藩軍に加わった膳所藩士。幕府の長州征伐の際、山口藩勢の一員として戦ったが1867年(慶応3年)7月2日病死した。墓所は山口県山口市円政寺の曹洞宗永福寺。(〓は「口會」)

資料

  • 招魂社祭粢料達書[1]
  • 近江名跡案内記[2]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%86%B3%E6%89%80%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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