ようこそ『神殿大観』へ。ただいま
試験運用中
です。
自玉手祭来酒解神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
自玉手祭来酒解神社
のソース
移動:
案内
,
検索
以下に示された理由により、このページの編集を行うことができません:
この操作は、
利用者
のグループに属する利用者のみが実行できます。
ページ
名前空間にあるページを編集する権限がありません。
このページのソースを閲覧し、コピーすることができます:
'''自玉手祭来酒解神社'''(たまてよりまつりきたる・さかとけ・じんじゃ)は京都府乙訓郡大山崎町大山崎にある[[牛頭天王信仰]]の神社。天王山中腹の[[山城・宝積寺|宝積寺]]からさらに登り山頂近くに鎮座する。[[官社]]。郷社。[[橘氏]]の氏神。'''酒解神社'''。'''山崎社'''('''山埼社''')。'''山崎明神'''('''山埼明神''')。'''天神八王子社'''。'''大山崎天王社'''。 == 歴史 == ===古代=== 創建不詳。「自玉手祭来」(たまてよりまつりきたる)という名から「玉手」という場所から分霊されたとみられるが、「玉手」はどこか不明。『延喜式』神名帳に「元名山埼社」ともあり、山崎にあった神社に「玉手」から招いた神を合祀したとの見方もある。 『続日本後紀』によると、839年(承和6年)4月13日、神階を授けられ、無位から従五位下となり、843年(承和10年)4月1日、正五位下・名神となった。843年(承和10年)の時は同じ酒解神を祀る[[梅宮大社]]の昇階と同時に行われた。848年(嘉祥1年)3月13日、御戸代田2町が与えられた。 ===中世=== 酒解神社の名は失われ、鎌倉時代には天王山に天神八王子社があった。大山崎天王社とも言われた。山崎郷の産土神として発展。東西の宮座があった。1813年(文化10年)2月、神輿庫を残して焼失。1820年(文政3年)に再建。1868年(明治1年)5月、天神八王子の名を廃した。1877年(明治10年)、京都府が式内社(官社)の酒解神社に決定した。摂社として大己貴社がある。神輿庫は現存最古の校倉造。 1868年(明治1年)、天王山で自刃した志士らの墓地が参道途中に改葬され、[[天王山官修墳墓]]となった。 (日本歴史地名大系) [[Category:京都府]]
自玉手祭来酒解神社
に戻る。
表示
ページ
議論
ソースを表示
履歴
個人用ツール
案内
神殿大観 メイン
神殿大観 総目次
おまかせ表示
検索
ツールボックス
リンク元
関連ページの更新状況
ファイルをアップロード
特別ページ