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興正寺高松別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''興正寺高松別院'''(こうしょうじ・たかまつ・べついん)は香川県高松市御坊町(讃岐国香川郡)にある[[浄土真宗]]寺院。本尊は[[阿弥陀如来]]。[[京都・興正寺|興正寺]]の[[真宗興正派の別院寺院|別院]]・[[御坊]]。[[真宗興正派]]。宗派寺院の40%が香川県内にあり、同派の重要な拠点である。旧称は'''勝法寺'''。'''高松御坊'''。'''楠川御坊'''。'''高松興正寺別院'''。俗に'''古御坊'''(ふるごぼう)ともいう。 == 歴史 == 篦原郷塩屋(現在の高松市塩屋町の周辺)にあった勝法寺を天文年間(1532~1555)、興正寺16世証秀(1535-1568)がすぐ西の野方町に移転。いずれも現在地に近い場所である。1583年(天正11年)、三木郡池戸の四覚寺原(現在の木田郡三木町井上の[[始覚寺]]周辺か)に移転。1614年(慶長19年)、高松藩主生駒正俊が高松城下の現在地に移転した。高松城の南800mに当たる。藩主松平頼重が1673年(延宝1年)150石を寄進し、旧称と同名の勝法寺を、御坊護持のために北隣に創建した。 子院として勝法寺・徳法寺・西福寺・願船坊が設けられた。御坊後見に常光寺(香川県木田郡三木町氷上)と阿波国[[阿波美馬・安楽寺|安楽寺]](徳島県美馬郡美馬町)が当たり、のち安楽寺は安養寺に交代した。安養寺は御坊の南隣にあった。真宗興正派の独立で興正寺の別院となる。1945年(昭和20年)の空襲で焼失。1958年(昭和33年)再建。 (日本歴史地名大系) ==資料== *「高松御坊一件留」:1830年(天保1年)。『香川県史』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9576346/385] [[Category:香川県]]
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