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興福寺五重塔
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年2月17日 (木)
興福寺五重塔は奈良県奈良市登大路町の興福寺にある五重塔。東金堂と共に「東金堂院」「東仏殿院」を構成した。興福寺関連旧跡も参照。
- 初代五重塔:703-1017:730年(天平2年)4月28日、光明皇后が発願。自ら土を運んだという。730年(天平2年)秋に竣工。天平宝字年間に仏像を祀る。『興福寺流記』に引く「宝字記」では高さ15丈1尺(1尺27cmとすると約40.7m)とする。各層には水晶の小塔と無垢浄光陀羅尼経が奉安された。初層には四天柱の東に薬師浄土変相図、南に釈迦浄土変相図、西に阿弥陀浄土変相図、北に弥勒浄土変相図が描かれた。1017年(寛仁1年)6月22日、落雷で焼失。
- 2代目五重塔:1031-1060:1031年(長元4年)10月、五重塔・東金堂再建。天台座主を導師として落慶法要。関白藤原頼通らが参列。1060年(康平3年)5月、燈明の失火で中金堂から出火して、中金堂、廻廊、中門、南大門、講堂、五重塔、西金堂、西室、一乗院長講堂が焼失。
- 3代目五重塔:1078-1180:1078年(承暦2年)1月27日、五重塔と西金堂落慶。1180年(治承4年)12月、南都焼討で興福寺伽藍はほぼ全て焼失。
- 4代目五重塔:1206以前-1356:重源が周防国から心柱3本を寄進。貞慶も協力か。1205年(元久2年)3月16日、京都最勝金剛院で五重塔造仏の儀式(明月記)。1206年(建永1年)2月22日、このころまでに再建。この日、藤原資時に功労が与えられた。1356年(正平11年/延文1年)2月、落雷で東金堂と共に焼失。
- 5代目五重塔:1399以後-1411:唐院や新坊が復興財源の管理。1371年(建徳2年/応安4年)、幕府は心柱材木運搬のため通行許可証を発行。1375年(天授1年/永和1年)6月11日、木曳。16日立柱。1380年(天授6年/康暦2年)2月、二重目の事始。1388年(元中5年/嘉慶2年)4月、4重目、5重目を作る。20日心柱取り付け。中金堂が再建された1399年(応永6年)の時点でまだ未完成。その後再建か。1411年(応永18年)10月15日春日東塔落雷の火災で焼失。
- 6代目五重塔:1426頃-現在:1426年(応永33年)6月、上棟。まもなく再建したとみられる。1452年(享徳1年)から1463年(寛正4年)にかけて造仏している。高さ約50.1mで現存する古塔としては東寺五重塔に次ぐ高さという。三手先斗栱を使用するなど、天平時代の遺風を示す。初層に薬師三尊、釈迦三尊、阿弥陀三尊、弥勒三尊を祀る。