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苗栗県忠烈祠
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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苗栗県の忠烈祠。入祀烈士は288員である(2010年現在。資料B)。戦後、民国39年(1950年)、植民地時代の県社[[苗栗神社]]の跡地に創建された(資料C)。民国74年(1985年)7月31日に改築した(資料A)。春祭は3月29日の革命先烈紀念日に行われ、秋祭は9月3日の軍人節(日中戦争日本降伏日)に行われている(資料C)。 | 苗栗県の忠烈祠。入祀烈士は288員である(2010年現在。資料B)。戦後、民国39年(1950年)、植民地時代の県社[[苗栗神社]]の跡地に創建された(資料C)。民国74年(1985年)7月31日に改築した(資料A)。春祭は3月29日の革命先烈紀念日に行われ、秋祭は9月3日の軍人節(日中戦争日本降伏日)に行われている(資料C)。 | ||
- | + | 苗栗市市街地の南東の福星山公園(〓貍山公園)にひっそりと位置している。地方政府管理の忠烈祠としては中型のものである。遺物は少ないが、神社の雰囲気を残している。正殿のほか回廊があるようだがよく分からない。隣接する浄覚院にも神社の遺物が多く残存している。通常は閉門しているようだ(ただし資料Cには0800-1700まで開門しているとある。)。 | |
(資料A:ウェブサイト国防部後備司令部『祠祀葬〓』[http://afrc.mnd.gov.tw/martyr/](2011/05/02閲覧)、資料B:内政部資料2011年1月「忠烈祠祀概況」、資料C:蔡錦堂2008「褒揚及忠烈祠祀栄典制度之研究」) | (資料A:ウェブサイト国防部後備司令部『祠祀葬〓』[http://afrc.mnd.gov.tw/martyr/](2011/05/02閲覧)、資料B:内政部資料2011年1月「忠烈祠祀概況」、資料C:蔡錦堂2008「褒揚及忠烈祠祀栄典制度之研究」) |
2011年6月8日 (水) 時点における版
苗栗県の忠烈祠。入祀烈士は288員である(2010年現在。資料B)。戦後、民国39年(1950年)、植民地時代の県社苗栗神社の跡地に創建された(資料C)。民国74年(1985年)7月31日に改築した(資料A)。春祭は3月29日の革命先烈紀念日に行われ、秋祭は9月3日の軍人節(日中戦争日本降伏日)に行われている(資料C)。
苗栗市市街地の南東の福星山公園(〓貍山公園)にひっそりと位置している。地方政府管理の忠烈祠としては中型のものである。遺物は少ないが、神社の雰囲気を残している。正殿のほか回廊があるようだがよく分からない。隣接する浄覚院にも神社の遺物が多く残存している。通常は閉門しているようだ(ただし資料Cには0800-1700まで開門しているとある。)。
(資料A:ウェブサイト国防部後備司令部『祠祀葬〓』[1](2011/05/02閲覧)、資料B:内政部資料2011年1月「忠烈祠祀概況」、資料C:蔡錦堂2008「褒揚及忠烈祠祀栄典制度之研究」)