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莫高窟
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
莫高窟
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'''莫高窟'''(ばっこうくつ)は、中国甘粛省酒泉市[[敦煌市]]にある[[中国の石窟寺院|石窟寺院]]。敦煌石窟。 大泉河沿いの断崖に1600mにわたり492窟の岩窟が並ぶ。壁画は4万5000平米。7000件の題記、2415体の仏像がある。北大仏殿の33mの大仏などがある。第17窟蔵経洞から数万点の古文書が発見された。 前秦の建元2年(366)、西方から来た楽僔が岩の間から光が射すのを見て窟を開いたのが起源とされる。元までの900年間にわたり、造営が続けられた。 壁画の内容は豊富。仏に加え、北魏晩期には中国神話の神々が登場。隋唐には変相図(いわゆる浄土曼荼羅など)、説法図、観音菩薩などが好んで描かれた。西夏王、于闐王、吐蕃王などの人物像や、張議潮出行図、五台山図なども有名。 像では第275窟の弥勒像が最古期の交脚菩薩像として知られ、第257窟の思惟菩薩像が北魏期を代表する菩薩像としてある。最盛期とされる唐代の仏像は、釈迦、阿難、迦葉を一組にしたものや、さらに四天王を加えたものなどがあり、仏は端正に、菩薩はふくよかに写実的に造形されている。第322、第328、第45、第194などにある。 巨大な像も多く、北大仏殿には33m、南大仏殿には26mの大仏がある。第48窟の涅槃像は15mもある。 蔵経洞は、11世紀に西夏がこの地域に侵出した時、僧侶が経典を守るために出入口を封じたとみられている。1900年、道士の王円簶により900年ぶりに再発見された。1907年にイギリスのスタインが1万点を持ち帰り、翌年、フランスのペリオも一部を持ち帰った。 さらにロシアのオルデンブルク、アメリカのウォーナーも各窟の壁画をはがし、塑像を持ち去った。 ==参考文献== *鎌田茂雄『仏教の来た道』 [[category:中華人民共和国甘粛省]]
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