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華厳宗
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
華厳宗
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'''華厳宗'''(けごんしゅう)は、『華厳経』に依拠する[[仏教]]の宗派。宗祖は杜順で、法蔵が教学を大成した。中国での主な寺院に[[長安]]の[[長安・華厳寺|華厳寺]]と[[大薦福寺]]、[[終南山]]の[[至相寺]]と[[草堂寺]]、[[五台山]]の[[顕通寺]]、[[杭州]]の[[慧因院]]などがある。日本では[[東大寺]]・同[[東大寺尊勝院|尊勝院]]や[[高山寺]]、朝鮮では[[浮石寺]]や[[求礼・華厳寺|華厳寺]]が有名。'''賢首宗'''。 == 歴史 == *『華厳経』は、様々な教典を統合して西域の于闐で編纂された。 *新羅は『華厳経』を国家的に重視した。[[華厳十刹]]。今でも韓国寺院には毘盧舎那仏を祀る毘盧殿があることが多い。 *遼・金代、華厳思想は密教と融合。日本でも。 *[[空海]]は、『十住心論』で、華厳を密教の一段階下に位置付けた。 *[[最澄]]は、『華厳五教章』を読んで、『法華経』を知った。 *日本では[[融通念仏宗]]も『華厳経』を所依経典とする。 == 一覧 == ===中国=== *[[長安]] **[[長安・華厳寺|華厳寺]]:陝西省西安市長安区。中国華厳宗の発祥地となった寺院。澄観の妙覚塔、杜順の無垢浄光宝塔が現存する。 **[[大薦福寺]]:陝西省西安市碑林区。小雁塔が現存する。法蔵旧跡。 **[[雲華寺]]:陝西省西安市。智儼が晩年にいた寺院。 **[[義善寺]]:陝西省西安市雁塔区。杜順が没した寺。 **[[長安・崇福寺|崇福寺]]:陝西省西安市灞橋区。法蔵の旧跡。四十華厳が訳された場所。 **[[清浄寺]]:智儼が晩年にいた寺院。ここで死去。義湘が学ぶ。清禅寺。 *[[終南山]]:陝西省西安市。 **[[至相寺]]:陝西省西安市長安区。智儼が住した。 **[[草堂寺]]:陝西省西安市〓邑区。宗密が住した。 *[[慧因院]]:浙江省[[杭州市]]西湖区。 *[[大同・華厳寺|華厳寺]]:山西省[[大同市]]城区。上華厳寺と下華厳寺に分かれた。 **[[上華厳寺]] **[[下華厳寺]] *[[太原]] **[[奉聖寺]]:石刻華厳経が収められている。 *[[五台山]] **[[顕通寺]]:山西省忻州市五台県。五台山の中心寺院。 **[[五台山・清凉寺|清凉寺]]: *[[因聖寺]]:浙江省杭州市?杜順が学んだ寺院か。 *[[鶏足山]]:雲南省大理ペー族自治州賓川県。 **華厳寺: **悉檀寺:木増が本無釈禅を招いて創建。 *[[雲南・泰聖寺|泰聖寺]]:懸甕山にある?八十華厳を刻んだ石幢がある。 *[[山西・天寧寺|天寧寺]]:山西省呂梁市交城県。 *[[大足石窟寺院]]:四川省。宝頂山石窟に中国で最も大きい華厳三聖像がある。高さ7m。 *[[資中石窟寺院]]:四川省資陽市資中県。華厳三聖像がある。 *[[安岳石窟寺院]]:四川省資陽市安岳県。華厳洞に華厳三聖像がある。 *[[重龍山石窟寺院]]:四川省資陽市資中県。第93龕と第155龕に華厳三聖像がある。 *[[石鐘山石窟寺院]]:雲南省大理ペー族自治州剣川県。剣川石窟寺院。第4窟に華厳三聖像がある。 *石筍山磨崖仏:四川省成都市邛崍市大同鄉。華厳三聖像がある。 *[[飛来峰石窟]]:浙江省杭州市西湖区。[[霊隠寺]]の近く。青林洞に華厳三聖像がある。 *大慈寺:広東省清遠市。古庭善学がいた。 *[[再光寺]]:雲南省大理。普瑞がいた。 *[[崇聖寺]]:雲南省大理。 *[[浮山・華厳寺|華厳寺]]:安徽省安慶市樅陽県浮山鎮の浮山にある。古庭善学が講義。朗目本智が中興。 *[[ ===朝鮮=== *[[仏国寺]]:慶尚北道慶州市進〓洞。 *[[皇福寺]]:慶尚北道慶州市。 *[[葛項寺]]:慶尚北道金泉市。勝詮が創建。 *[[皇龍寺]]:慶尚北道慶州市。 *[[浮石寺]]:忠清南道瑞山市浮石面翠坪里。朝鮮華厳宗の根本道場。[[華厳十刹]] *[[求礼・華厳寺|華厳寺]]:全羅南道求礼郡。[[華厳十刹]]・[[寺刹令本寺]]・曹渓宗25本寺。八十華厳を刻した華厳石経がある。 *[[梵魚寺]]:釜山広域市金井区青龍洞。華厳十刹。 *[[月精寺]]:江原道。 *[[開泰寺]]:高麗の王建が創建。 *[[帰法寺]]:開城。 ===日本=== *[[東大寺]] **[[東大寺尊勝院]] **[[東大寺戒壇院]] *[[高山寺]] *[[善妙寺]]:高山寺の別院。廃絶。 *[[久米田寺]] *[[武蔵・称名寺]] *[[下総・東禅寺]] *[[性海寺]] *[[大安寺華厳院]] *[[山城・海印寺]] *[[安倍文殊院]]:東大寺末。 *[[周防・阿弥陀寺]]:東大寺末。 *[[石山寺]]:東大寺末。 *[[伊豆・大興寺]]:海印寺の別院。 *[[永泉寺]]:岐阜県多治見市。東美濃の華厳宗の拠点だったという。現在は曹洞宗。 *[[帯解寺]] *[[隔夜寺]] *[[空海寺]] *[[新薬師寺]] *[[五劫院]] *[[財良寺]]:伊賀にあった東大寺末寺 *[[聖林寺]] *[[法楽寺]] *[[甲斐・永源寺]]:今は曹洞宗 *[[清凉寺]]:現在は[[浄土宗知恩院派]] == 信仰 == ===経典=== *六十華厳 *八十華厳 ===諸書=== ====中国==== *『法界観門』 *『孔目章』 *『捜玄記』 *『探玄記』 *『華厳五教章』 *『華厳論』 *『華厳経疏』 *華厳五教章註釈 **『華厳五教章復古記』:師会著。 **『華厳五教章集成記』:希迪著。 **『華厳一乗分斉章義苑疏』:道亭著。 **『五教章析薪記』:観復著。 ====朝鮮==== ====日本==== *『華厳宗経論章疏目録』 *『華厳祖師伝』 *『華厳祖師絵伝』:華厳縁起とも。 *『華厳五十五所絵巻』:善財童子絵とも。 *華厳五教章註釈 **『華厳五教章指事』:東大寺寿霊著。奈良時代。 **『華厳五教章通路記』:凝然著。鎌倉時代。 **『華厳五教章問答抄』:審乗著。鎌倉時代。 **『五教章纂釈』:潭睿著。鎌倉時代。 **『五教章聴抄』:[[中性院聖憲著。1334年。 **『華厳五教章論義抄』:宗性著。 **『五教章視聴記』:志玉の談義を真福寺任舜が記録。1446年。 **『五教章見聞』:志玉の談義を道瑜が記録した講録。1447年。 **『五教章料簡』:頼瑜著。現存不詳。 **『五教章不審』:実英著。 **『五教章私』:[[大伝法院]]日秀著。1553年。 **『冠註華厳五教章』:[[智積院]]観応著。現在でも初学者のテキストとして使われている。 **『華厳五教章講讃』:穎川著。 **『華厳五教章講義』:湯次了栄著。 ===文献=== *『華厳学研究資料集成』 *1975『金沢文庫資料全書 仏典 華厳編』 *湯次了栄1915『華厳大系』法林館 *湯次了栄1935『華厳学概論』 *湯次了栄1935『華厳五教章講義 仏教聖典講義大系 第15』仏教聖典講義刊行会 *高峯了洲1942『華厳思想史』 *坂本幸男1956『華厳教学の研究』平楽寺書店 *石井教道1964『華厳教学成立史』石井教道博士遺稿刊行会 *納富常天1964『鎌倉の教学 : 金沢文庫資料を中心とした華厳教学』鎌倉国宝館 *鎌田茂雄1965『中国華厳思想史の研究』東京大学出版会 *鎌田茂雄1975『宗密教学の思想史的研究―中国華厳思想史の研究 第2 』東京大学出版会 *鎌田茂雄1980『朝鮮華厳思想史の研究』 *鍵主良敬1968『華厳教学序説 : 真如と真理の研究』文栄堂 *木村清孝1977『初期中国華厳思想の研究』春秋社 *金知見1977『均如大師華厳学全書』後楽出版 *伊藤瑞叡1988『華厳菩薩道の基礎的研究』平楽寺書店:2013年に増補版。 *吉津宜英1985『華厳禅の思想史的研究』大東出版社 *吉津宜英1991『華厳一乗思想の研究』大東出版社 *石井公成1996『華厳思想の研究』春秋社 *中村薫2001『中国華厳浄土思想の研究』法蔵館 *張文良2006『澄観華厳思想の研究―「心」の問題を中心に』山喜房佛書林 *大竹晋2007『唯識説を中心とした初期華厳教学の研究 : 智儼・義湘から法蔵へ』大蔵出版, *金天鶴2015『平安期華厳思想の研究―東アジア華厳思想の視座より』山喜房佛書林 *織田顕祐2017『華厳教学成立論』法蔵館 *藤丸要編2016『華厳 龍谷大学仏教学叢書5』自照社出版 *2013『称名寺聖教 尊勝院弁暁説草』勉誠出版 *木村清孝『中国華厳思想史』平楽寺書店 *木村清孝『華厳経入門』角川学芸出版 *『華厳学論集』 *藤丸要『華厳宗要義講読』永田文昌堂 *藤能成『元暁の浄土思想研究』民族社 ===諸仏=== *毘盧舎那仏 *文殊菩薩 *普賢菩薩 ==人物== ===歴代=== *1杜順(557-640):華厳宗の開祖。一定の寺に住まず、山野に寝起きした。遊行の旅が善財童子の姿と重なった。普賢行を修し、空を重視した『法界観門』を著したとされる。墓所は、[[長安・華厳寺]]跡に塔のみ残る。 *2智儼(602-668):華厳宗の実質的な開祖。[[終南山]][[至相寺]]に住す。[[摂論宗]]や[[地論宗]]を学び、心の問題を探求。唯識学と華厳思想を統合しようとした。『孔目章』では『亡是非論』の解く無心になってこそ『華厳経』の性起が起こる、つまり仏性が現れるとした。『捜玄記』は「華厳宗の立教開宗の書」と言われる。弟子に法蔵や義湘がいる。晩年は長安の[[雲華寺]]に住し、ついで[[清浄寺]]に移った。墓所は不明。通称は、至相大師、雲華尊者。 *3法蔵(643-712):華厳宗教学の大成者。智儼に師事。[[長安]]の[[大薦福寺]]に住した。『十二門論宗致義記』は、空を究明。『大乗起信論義記』は、心を探求。『金師子章』を[[則天武后]]のために書いたという伝説がある。『探玄記』は、六十華厳の概説書。『華厳五教章』は、2種類ある。法蔵から義湘への手紙が日本に伝わっている。弟子に日本の審祥がいる。則天武后から賢首大師の号を贈られた。 *4澄観(738-839):[[五台山]][[顕通寺]]に住した。禅にも関心を示す。『華厳経疏』は、八十華厳の概説書。さらにそれを敷衍して『随疏演義鈔』を著した。華厳学は、『老子』の「玄之又玄」を仏教的に解釈したものだとまでいう。墓所は、[[長安・華厳寺]]跡に塔のみ残る。通称は、清凉大師。 *5[[宗密]](780-840):終南山[[草堂寺]]に住す。禅教一致を主張。『禅源諸詮集都序』。荷沢禅を学び、『円覚経』に傾倒。『円覚経大疏』を記す。その注釈として『大疏鈔』や『円覚経略疏』を書いた。さらに『略疏鈔』を書いた。『原人論』。「気の哲学」があるという。宋代の中国思想に大きな影響を与えた。 五祖にインドの馬鳴、[[龍樹]]を加えて七祖ともいう。 ===中国=== *支法領:于闐で編纂された『華厳経』原本を中国に将来。 *仏陀跋陀羅(359-429):インドから来た僧侶。六十華厳(晋経、旧経)を訳す。 *霊弁(477-522):[[五台山]]で修行。『華厳論』を記す。 *慧命(531-568):『荘子』と『華厳経』を学び、『詳玄賦』を記す。一即多を解き、万物は仏の光明が貫徹したものだと説いた。 *曇遷(542-607):『亡是非論』を著した。無心となり「これは良い、これは悪い」とあげつらうことをしないことを説いた。 *実叉難陀(652-710):八十華厳(唐経、新経)を訳す。 *般若:入法界品(貞元経)を訳す。 *李通玄(635-730):『新華厳経論』。仏光三昧観を説く。 *晋水浄源(1011-1088):華厳宗中興とも呼ばれる。[[杭州]][[慧因院]]に住す。散逸した華厳宗経典を高麗から逆輸入して整備した。 *可堂師会(1102-1166): *義和(生没年不詳): ===朝鮮=== *慈蔵(607?-675?):中国五台山で学ぶ。643年帰国。 *元暁(617-686):650年、義湘と共に入唐しようとするが海門まで至って怪異に会い帰国。[[芬皇寺]]、[[求礼・華厳寺|華厳寺]]で講じる。芬皇寺で死去。奔放な性格で、誰も構わず論難した。王女との間に子を儲けたとも。のち高麗時代の粛宗6年(1101)に大聖和静国師の号を贈られた。著作は『華厳経疏』『大乗起信論疏』『金剛三昧経論疏』などの他、[[浄土教]]の書も多い。法蔵の思想にも影響を与えたという。異称は青丘大師、黄龍大師。 *義湘(625-702):朝鮮華厳宗の事実上の開祖。661年、入唐して[[至相寺]]で智儼に師事。671年帰国。[[浮石寺]]など[[華厳十刹]]を建てた。多くの弟子を育て、[[朝鮮仏教]]に与えた影響は少なくない。『華厳一乗法界図』で、華厳経を210字の図印にまとめ、これを行道しながら唱える実践行を提唱。高麗時代の粛宗6年(1101)、円教国師の号を贈られた。法蔵からの書簡『寄新羅義湘法師書』が日本に伝わる。日本の明恵が伝記絵巻『華厳宗祖師絵伝』(華厳縁起)を製作。異称は浮石大師。 *勝詮:新羅の僧。法蔵の弟子。[[葛項寺]]を創建。 *均如(923-973):新羅末期・高麗初頭の僧。朝鮮華厳宗の中興と呼ばれる。[[帰法寺]]に住した。[[南岳派]]と[[北岳派]]に分かれていた華厳宗をまとめた。 *[[義天]](1055-1101):高麗王朝の文宗の王子。朝鮮[[天台宗]]の開祖。1085年、入宋して慈弁従諫に天台教学を、晋水浄源に華厳教学を学ぶ。帰国して[[興王寺]]、[[慶南・海印寺]]に住す。[[開城・国清寺]]を創建。 ===日本=== [[南都仏教の人物旧跡]]も参照。 *道慈(?-744):八十華厳を招来。 *[[良弁]](689-773):[[東大寺]]の開山。 *審祥(生没年不詳):日本華厳宗の開祖。法蔵に師事。[[大安寺]]の僧侶。新羅人という説もある。 *慈訓(691-777):審祥の跡を継いで、『華厳経』の講義を開く。通称「華厳講師」。 *道セン(702-760):天平8年、華厳宗経典を伝える。 *実忠(726-?):東大寺修二会の創始者。 *鏡忍(?-784):良弁の弟子。 *普機(生没年不詳):天長7年(830)、六本宗書の一つ『華厳一乗開心論』を著す。 *道雄(?-851):[[海印寺]]開山。[[空海]]の高弟だが、長歳に華厳宗を学ぶ。 *円超(861-925):海印寺良緒に学び、東大寺でも学ぶ。延喜14年、醍醐天皇の命で『華厳宗章疏並因明録』を提出。 *光智(894-979):[[東大寺尊勝院]]の開山。良緒に学ぶ。 *景雅(1103-1185): *[[重源]](1121-1206):東大寺大勧進。東大寺を復興。 *弁暁(1139-1202):尊勝院を再建。 *[[明恵]](1173-1232):[[高山寺]]中興。 *宗性(1202-1292): *凝然(1240-1321):東大寺の学僧。戒壇院2世。唐招提寺28世。伊予国越智郡出身。戒壇院を復興した円照に師事。華厳を宗性に学び、浄土宗や禅宗も修める。博覧強記で千巻以上の著作を記したという。京都[[金山院]]に葬られたという。国師号が与えられた。代表作は『八宗綱要』だが、華厳関係では『探玄記洞幽鈔』『五教章通路記』『三国仏法伝通縁起』などがある。示観房。 *禅爾(1252-1325):[[久米田寺]]を復興する。 *俊才(1259-1353):東大寺大勧進。[[後醍醐天皇]]の戒師となり、国師号を賜ったという。晩年は[[武蔵・称名寺]]に住す。 *潭睿(1271-1346):称名寺長老3世。[[下総・東禅寺]]を経て[[武蔵・称名寺]]を継ぐ。湛睿。 *総融(?-1386):東大寺大勧進や戒壇院長老を務めた学僧。1000巻に及ぶ経典注釈書を書いたという。惣融。 *志玉(1383-1463):応永24年(1417)、明に渡る。明の太宗に『華厳経』の講義を行い、普一国師の号を賜る。帰国後、東大寺戒壇院長老。[[称光天皇]]から改めて国師号を賜る。著書に『華厳五教章見聞』。 *公慶(1648-1705):[[東大寺大仏殿]]を再建。 *鳳潭(1654-1738):[[京都・華厳寺]]開山。『華厳五教章匡真鈔』『起信論義記幻虎録』 ==流派== ===朝鮮=== *北岳派:浮石寺 *南岳派:華厳寺 ===日本=== *本寺派尊勝院流:東大寺尊勝院を中心とする流派。 *本寺派戒壇院流:東大寺戒壇院を中心とする流派。凝然。 *末寺派:高山寺を中心とする流派。明恵。
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