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萩・明倫館

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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萩明倫館聖廟の遺構(海潮寺本堂)

明倫館は山口県萩市江向にあった藩校孔子廟山口・明倫館も参照。

組織

萩明倫館模型(萩明倫学舎展示)
萩明倫館聖廟の神主(位牌)の模型(萩明倫学舎展示)

学頭

明倫学舎展示パネルより。「代数は検討を要する」という。

  • 1小倉尚斎(1677-1737)<1719-1737>:林信篤に学ぶ。
  • 2山県周南(1687-1752)<1737-1748>:荻生徂徠の弟子。古文辞学を明倫館の正統の学問とした。
  • 3津田東陽(1702-1754)<1748->:山県周南の弟子。
  • 4山根華陽(1697-1771)<>:河野養哲、山県周南に学ぶ。
  • 5小倉鹿門(1703-1776)<>:河野養哲に学ぶ。小倉尚斎の養子になる。
  • 6山根南溟(1742-1793)<>:山根華陽の子。
  • 7繁沢豊城(1732-1806)<>:繁沢規世。
  • 8小田村藍田(1742-1814)<1806->:小田村〓山の婿養子。1806年(文化3年)学頭。
  • 9中村華嶽(?-1836)<>:
  • 10山県太華(1781-1866)<1835-1850>:亀井道載に学ぶ。1849年(嘉永2年)の明倫館の移転拡充に携わる。古文辞学中心から朱子学中心に転換する。吉田松陰の著書を論難する。宍戸たまきの養父。
  • 11平田〓渓(1796-1879)<>:
  • 12中村牛荘(1783-1869)<1852->:山田時文、繁沢豊城に学ぶ。1852年(嘉永5年)学頭。
  • 13小倉遜斎(1805-1878)<>:佐藤一斎らに学ぶ。
  • 14飯田履軒(1858-1924)<>:飯田左門。飯田直方。
  • 15中村浩堂(1823-1895)<>:中村牛荘の子。中村百合蔵。


  • 『八江萩名所図画』「明倫館」[1]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%90%A9%E3%83%BB%E6%98%8E%E5%80%AB%E9%A4%A8」より作成

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