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萩・松陰神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
萩・松陰神社
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[[File:萩松陰神社・拝殿003.jpg|thumb|500px|松陰神社の拝殿と本殿]] '''松陰神社'''(しょういん・じんじゃ)は、山口県萩市椿東にある[[吉田松陰]]を祀る[[霊社]]。[[県社]]。 ==歴史== ===生前=== 詳細は[[吉田松陰]]を参照。 *1830年(天保1年)8月4日:吉田松陰、誕生。杉百合之助の次男。 *1835年(天保6年):叔父吉田賢良の養子となりこの年家督相続。 *1843年(天保14年):叔父玉木文之進が自宅に松下村塾を開設。 *1849年(嘉永2年)6月:藩命により海岸防備を視察。この時赤間関で入手した硯が後に松陰神社の御霊代となる。 *1853年(嘉永6年)4月:吉田松陰、杉家旧宅に住む *1854年(安政1年)3月27日:下田で米国艦に海外密航を企て失敗。翌日自首する。 *1854年(安政1年)11月:野山獄に入獄。 *1855年(安政2年)12月15日:実家杉家に謹慎。門下生が集まる。 *1857年(安政4年)11月:久保五郎左衛門から松下村塾の名を継承する。この年、高杉晋作や久坂玄瑞が入門。 *1858年(安政5年)3月:松下村塾増築。 *1858年(安政5年)7月:家学教育の藩許を得る。 *1858年(安政5年)11月6日:間部詮勝暗殺を計画し、家族への訣別の書を記す。この文章が後に萩松陰神社の御霊代となる。 *1858年(安政5年)12月:野山獄に入獄。 *1859年(安政6年)5月24日:江戸護送の前夜、最後の夜を実家杉家で過ごす。 *1859年(安政6年)10月27日:小伝馬町牢屋敷で処刑。 ===没後=== *1860年(万延1年)2月7日:杉家で100日忌。護国山団子岩の吉田家墓地に遺髪を埋葬。 *1860年(万延1年)2月15日:墓碑建立。 *1868年(明治1年)2月:山口藩、松下村塾の修復費用を支出。 *1869年(明治2年):玉木文之進が松下村塾の指導者となる。 *1876年(明治9年)11月:玉木文之進、門下生が萩の変を起こした責任を取って自刃。 *1880年(明治13年)頃:杉民治が松下村塾を再興。 *1890年(明治23年)6月23日:有栖川宮熾仁親王、松下村塾訪問。 *1890年(明治23年)8月:松下村塾の改修の際に実家杉家の私祠(邸内社)として、松下村塾の西に土蔵造の祠を建てたのが始まり。遺言に基づき神硯と神文を御霊代として神霊を奉斎した。神硯は1849年(嘉永2年)19歳の時、大津、豊浦、赤間関の海岸防備を藩命で視察した時、赤間関で入手したもので、長さ5寸5分、幅2寸2分5厘、厚さ5分。松陰自ら硯を「十年間の著述を助けし功臣なり」と記している。神文は29歳の時、間部詮勝暗殺を計画し上京を決した時、1858年(安政5年)11月6日付で家族に訣別を告げた漢文体の文章で856文字。1859年(安政6年)の処刑直前に記した「永訣の書」に「私首は江戸に葬り家祭には私平生用候硯と去年十月六日呈上仕候書とを神主と被成候様奉願候」とある。 *1892年(明治25年)頃:松下村塾、活動停止か。 *1907年(明治40年)9月15日:門人の伊藤博文と野村靖の名義で神社創立願を提出。 *1907年(明治40年)10月4日:松陰神社創立認可。土蔵造の祠を松下村塾の南隣に移築して本殿とし、萩城内宮崎八幡宮旧拝殿を移築して拝殿とした。 *1926年(昭和1年)5月30日:皇太子(昭和天皇)行啓。 *1936年(昭和11年)1月:松陰神社改築奉賛会を設立。 *1937年(昭和12年)5月:王政復古50年記念事業として山口県より土地奉納され、境内拡張。 *1940年(昭和15年)3月:改築起工。 *1942年(昭和17年)11月:竣工。(戦時中の混乱のため遷座は実施されず?) *1955年(昭和30年)10月26日:遷座祭を斎行した。檜皮葺から銅板葺に改修。 *1956年(昭和31年)10月26日:松門神社鎮座。社殿は本社の旧社殿を移築増改修したもの。 *1949年(昭和24年)4月8日:皇太子(平成の天皇)行啓。 *1959年(昭和34年)10月27日:吉田松陰100年祭。高松宮参拝。 *1959年(昭和34年):茶室「花月楼」を移築。 *1993年(平成5年)7月27日:皇太子(令和の天皇)行啓。 *1994年(平成6年)11月19日:平成の天皇、行幸。 *2007年(平成19年)10月:創建100年記念で、屋根葺き替えを実施した。 *2009年(平成21年)5月:150年祭記念で幣殿・釣屋を拡張。 *2009年(平成21年):宝物殿至誠館開館。150年祭。 *2015年(平成27年):松下村塾、世界遺産登録 ==境内== *本社: *[[松門神社]]:土蔵式の本殿は元本社本殿。拝殿は萩城内にあった宮崎八幡宮旧拝殿で本社旧拝殿。 *勧学堂:祭神は吉田松陰。社殿は[[萩・品川神社]]旧社殿。 *松下村塾:1858年(安政5年)3月増築。 *杉家旧宅幽囚室:吉田松陰の実家の杉家旧宅。1855年(安政2年)12月、野山獄から実家預となり、幽囚室に3年間蟄居。1858年(安政5年)12月、再び、入獄。幽囚室には杉家祖霊(向かって右)と吉田家祖霊を祀っていた。1859年(安政6年)5月24日の最後の夜、獄吏福川犀之助の配慮で実家で過ごした。 *「萩の変七烈士殉難之地」碑:1976年(昭和51年)に萩市恵美須町に建立。のち松陰神社境内に移転。 *[[護国山墓地]]:近くにある。吉田松陰の遺髪を葬る。高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿などの墓もある。関連旧跡。 <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> File:萩松陰神社・参道006.jpg|参道入口 File:萩松陰神社・参道007.jpg| File:萩松陰神社・参道005.jpg|鳥居 File:萩松陰神社・参道003.jpg|鳥居扁額 File:萩松陰神社・参道004.jpg|社号碑 File:萩松陰神社・参道002.jpg|「県社」碑 File:萩松陰神社・参道001.jpg| File:萩松陰神社・その他003.jpg|手水舎 File:萩松陰神社・その他006.jpg|燈籠 File:萩松陰神社・その他004.jpg|玉垣の装飾 File:萩松陰神社・その他005.jpg|鳥居扁額 File:萩松陰神社・拝殿001.jpg|拝殿 File:萩松陰神社・拝殿002.jpg| File:萩松陰神社・本殿001.jpg| File:萩松陰神社・本殿002.jpg| File:萩松陰神社・その他001.jpg|本社と松門神社(左) File:萩松陰神社・勧学堂.jpg|勧学堂 </Gallery> <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> File:萩松陰神社・松下村塾005.jpg|松下村塾 File:萩松陰神社・松下村塾003.jpg| File:萩松陰神社・松下村塾001.jpg| File:萩松陰神社・松下村塾002.jpg| File:萩松陰神社・松下村塾004.jpg| File:萩松陰神社・杉家旧宅001.jpg|杉家旧宅。制札 File:萩松陰神社・杉家旧宅002.jpg| File:萩松陰神社・杉家旧宅003.jpg| File:萩松陰神社・その他002.jpg|萩の変記念碑 </Gallery> [[Category:山口県]]
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