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薩摩・松原神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''松原神社'''(まつばら・じんじゃ)は、鹿児島県鹿児島市松原町にある[[島津家]]ゆかりの[[霊社]]。祭神は戦国武将として活躍した15代島津貴久(1514-1571)(靖国崇勲彦之命)。相殿神は[[天之御中主之神]]・[[高御産巣日之神]]・[[神産巣日之神]]・[[天照皇大神]]・[[豊受大御神]]。[[県社]]。[[領主奉斎神社]]。(参考:同名神社[[松原神社]]) ==歴史== 1869年(明治2年)、[[南林寺]]が廃絶。南林寺は島津貴久の菩提寺の[[曹洞宗]]寺院で、貴久の影像を祀った御影殿があった。 1869年(明治2年)3月25日、鹿児島藩知政所が「仏家の作法」から「神国の礼式」に改めることを達し、同年12月、菩提寺跡に当主「御霊社」6社創立を命じる。その一つに「松原神社 南林寺大中公御霊社」とある(『照国神社誌』)。 1870年(明治3年)、南林寺跡に松原神社を創建。 1874年(明治7年)5月4日、[[鹿児島県中教院]]を設置。11月12日開院。相殿神は中教院の祭神を引き継ぐものという。 1876年(明治9年)1月7日、社殿炎上。神像も焼失した。 島津斉興が奉納した画像を御神体として社殿を再建した。 1919年(大正8年)、南林寺墓地が一部を除いて整理された。 1920年(大正9年)、島津貴久350年祭にあたり社殿を造営。10月郷社から県社に昇格。同年、島津貴久に従三位を贈位。 1945年(昭和20年)戦災で被災。仮殿遷座。1977年(昭和52年)2月社殿再建。 境内社として稲荷神社、厳島神社、恵方社、大山神社、清水神社、歯之神、市場神社がある。歯之神は平田純貞を祭神とする。 分社として貴久位牌所の曹洞宗永泰寺跡に1870年(明治3年)7月に創建の無格社[[志布志・松原神社]]、貴久位牌所の曹洞宗円通寺跡に創建の無格社[[大口・松原神社]]、廃仏を逃れるため薬師堂を衣替えした無格社[[菱刈・松原神社]]、1876年(明治9年)創建の[[徳之島・松原神社]](1910年(明治43年)[[徳之島・高千穂神社]]に合祀)がある。 (日本歴史地名大系、神社ウェブサイト、鹿児島県神社庁ウェブサイト) <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> file:鹿児島松原神社・社殿001.jpg| file:鹿児島松原神社・社殿002.jpg| file:鹿児島松原神社・社殿003.jpg| file:鹿児島松原神社・社殿004.jpg| file:鹿児島松原神社・社殿005.jpg| file:鹿児島松原神社・社殿006.jpg| file:鹿児島松原神社・社殿007.jpg| file:鹿児島松原神社・社殿008.jpg| file:鹿児島松原神社・社殿009.jpg| file:鹿児島松原神社・社殿010.jpg| file:鹿児島松原神社・社殿011.jpg| file:鹿児島松原神社・社殿012.jpg| file:鹿児島松原神社・社殿013.jpg| file:鹿児島松原神社・社殿014.jpg| file:鹿児島松原神社・社殿015.jpg| file:鹿児島松原神社・社殿016.jpg| file:鹿児島松原神社・石碑001.jpg| file:鹿児島松原神社・石碑002.jpg| file:鹿児島松原神社・石碑003.jpg| file:鹿児島松原神社・石碑004.jpg| file:鹿児島松原神社・石碑005.jpg| file:鹿児島松原神社・石碑006.jpg| file:鹿児島松原神社・石碑007.jpg| file:鹿児島松原神社・石碑008.jpg| file:鹿児島松原神社・石碑009.jpg| file:鹿児島松原神社・石碑010.jpg|</Gallery> [[Category:鹿児島県]]
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