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行願寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年3月21日 (火)

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行願寺(ぎょうがんじ)は、京都府京都市中京区にある観音信仰天台宗寺院。天台宗延暦寺派。本尊は千手観音。西国三十三所観音霊場第19番札所。 開山の行円が革聖と呼ばれたので行願寺は革堂(こうどう)と呼ばれ、この名が定着している。一条北辺堂とも呼ばれた。 本尊は霊夢で賀茂神社の近くの槻樹を得て彫ったものだという(余材は善峰寺の本尊に使われたという) 戦国時代には、下京の六角堂に並んで上京の町堂として機能した。賀茂神社関連旧跡下御霊神社の南に位置する。 鎮宅霊符神堂がある。

目次

歴史

江戸時代の境内(『都名所図会』より)
  • 1004年12月11日:行円が一条油小路に創建(百錬抄、日本紀略)
  • 1140年:雷火で塔が焼失
  • 1141炎上
  • 1151炎上
  • 1209焼失
  • 1242炎上
  • 1289焼失
  • 興国炎上
  • 1467応仁の乱で焼失
  • 1590年:豊臣秀吉の都市計画で寺町荒神口に移転。
  • 1708年:宝永の大火で焼失。現在地に移転。
  • 文化年間:現在の本堂を再建
  • 1864年:禁門の変で正門焼失。

境内

名称 本尊 概要
本堂
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十一面観音
庫裡
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開山堂 廃絶か
加茂明神塔
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不動明王 大型の石造五輪塔。現在はくり抜いた中に不動明王の石仏を祀るが新しいもの。江戸時代に鳥居が五輪塔の前にあった。
鎮宅霊符尊神堂
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鎮宅霊符神
愛染堂
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愛染明王
寿老神堂
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寿老神
出世弁財天
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弁財天
寺守社
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石仏祠
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延命地蔵菩薩・天道大日如来
石仏祠
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石仏祠
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百体地蔵尊
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地蔵菩薩
宝篋印塔
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画像

資料

  • 「山城行願寺鐘銘」:鎌倉遺文。1289年11月8日。
  • 「行願寺修復勧進状」[1]
  • 「行願寺修覆勧進状」:弘文荘待賈古書目
  • 『一条革堂縁起』:1669年。妙法院宮堯恕法親王筆。
  • 林宗栄「革堂行願寺平面図」[2]
  • 木子幸三郎「行願寺観音堂平面図・説明」[3]
  • 「西国第十九番京都草堂行願寺観音堂平面」[4]


  • 瀧善成1937「平安中期後に現れた聖運動の一考察ー行願寺の教会史的研究を中心として」『大正大学々報』26
  • 猪川和子1974「京都革堂行願寺千手観音立像」[5]
  • 篠原昭二1976「清水寺と革堂ー貴賎の交叉点」『國文學』21-7
  • 三崎義泉1985『革堂行願寺その歴史と信仰』
  • 中島湛海1993『祈りと修行ー中島湛海一代記』
  • 足立祐子2004「『蜻蛉日記』の作者の屋敷の位置」[6]
  • 中前正志2009「革堂縁起の中の賀茂社縁起と行円伝」『神道史研究』57-2
http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%A1%8C%E9%A1%98%E5%AF%BA」より作成

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