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西大寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年7月10日 (日)

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(国土地理院空中写真より)
(国土地理院空中写真より)

西大寺(さいだいじ)は、奈良県奈良市にある古代寺院で、南都仏教真言宗本山寺院。本尊は清凉寺釈迦如来称徳天皇が創建。天皇が帰依した道鏡の影響も指摘されている。古代の官寺七大寺の一つ。鎌倉時代に叡尊が中興し、真言律宗西大寺流の拠点となる。関東祈祷所。元は金堂(現・四王堂)が中心だったが、中興以降は光明真言堂を本堂とする。奥之院として叡尊墓所の体性院がある。鎮守は、西大寺八幡神社真言律宗西大寺派総本山。秋篠山四天院と称す。(参考:同名寺院西大寺 (同名)天王寺


目次

歴史

古代の創建

  • 749年(天平感宝1年/天平勝宝1年)7月2日:孝謙天皇即位。
  • 758年(天平宝字2年)8月1日:孝謙天皇、淳仁天皇に譲位。
  • 764年(天平宝字8年)9月11日:孝謙上皇が七尺金銅四天王像の造立を発願(西大寺流記帳)。この日は「恵美押勝の乱」(13日まで)が発覚した日。
  • 764年(天平宝字8年)9月20日:孝謙上皇、道鏡を大臣禅師に任命。道鏡も西大寺の創設に関わったと考えられている。
  • 764年(天平宝字8年)10月9日:孝謙上皇(称徳天皇)、淳仁天皇を廃して再び即位。
  • 765年(天平神護1年):四天王像完成。
  • 765年(天平神護1年)閏10月2日:称徳天皇、道鏡を太政大臣禅師に任命。
  • 766年(天平神護2年)10月20日:称徳天皇、道鏡を法王に任命。
  • 766年(天平神護2年)12月12日:称徳天皇、西大寺に行幸(続日本紀)。
  • 767年(神護景雲1年)2月28日:造西大寺司の長官に佐伯今毛人が、造西大寺次官に大伴伯麻呂が任命された(続日本紀)。以後、造営が本格化。
  • 767年(神護景雲1年)3月3日:称徳天皇が西大寺法院に行幸。
  • 767年(神護景雲1年)8月29日:称徳天皇、造西隆寺長官を任命。西大寺とセットとなる尼寺西隆寺の造営が始まる。
  • 767年(神護景雲1年)9月2日:称徳天皇が西大寺島院に行幸。
  • 769年(神護景雲3年)4月:称徳天皇、西大寺行幸。佐伯今毛人を従四位下から従四位上とする。この頃に薬師金堂が完成したとみられる。
  • 770年(宝亀1年)2月23日:東塔の心礎石を破却したら天皇が病気になったので石を寺内の浄地に置いた(続日本紀)。石落神社の由来という。
  • 770年(宝亀1年)8月4日:称徳天皇崩御。
  • 770年(宝亀1年)8月21日:道鏡、造下野国薬師寺別当に任命し左遷。
  • 771年(宝亀2年)10月27日:兜率天堂(弥勒金堂とみられる)、この頃までに完成(続日本紀)。
  • 772年(宝亀3年)9月29日:西塔が鳴動
  • 780年(宝亀11年)12月25日:『西大寺資財流記帳』成立
  • 785年(延暦4年):桓武天皇行幸。
  • 846年(承和13年)12月11日:講堂(弥勒金堂か)焼失(続日本後紀)。
  • 880年(元慶4年)5月19日、西隆寺、西大寺の管轄下に置かれた。
  • 928年(延長6年)7月11日:塔が落雷で焼失(扶桑略記)
  • 962年(応和2年)8月30日:暴風で食堂倒壊(日本紀略)
  • 973年(天延1年):興福寺僧の仲算が西大寺別当に就任。以後、興福寺の影響下に入っていく。
  • 990年(正暦1年)2月2日:伽藍焼失(扶桑略記)
  • 1048年(永承3年)1月:鐘楼倒壊(造興福寺記)

叡尊による復興

  • 1235年(嘉禎1年)5月16日:叡尊、西大寺に入る。
  • 1238年(暦仁1年)9月:叡尊、八角五重石塔を建立し、舎利を埋納(感身学正記)。
  • 1239年(延応1年):大茶盛始まる。
  • 1245年(寛元3年):叡尊、光明真言堂(後の本堂)を建立(感身学正記)。
  • 1247年(宝治1年):僧堂建立開始(感身学正記)。
  • 1249年(建長1年)3月15日:嵯峨清凉寺の釈迦如来像を模刻(感身学正記)。のちにこれが本尊となる。
  • 1249年(建長1年)5月4日:釈迦如来像を四王堂に祀る。7日に開眼(感身学正記)。
  • 1264年(文永1年):光明真言会、始まる。
  • 1278年(弘安1年)7月18日:西大寺別当の乗範、叡尊に西大寺の運営権を譲る(乗範置文)。
  • 1278年(弘安1年)11月:護摩堂建立(興正菩薩行実年譜)
  • 1283年(弘安6年)2月17日:塔の四方仏を修復(感身学正記)。
  • 1285年(弘安8年)11月17日:鎮守八幡宮に御神体を奉安(感身学正記)。
  • 1290年(正応3年)8月25日:叡尊死去。
  • 1307年(徳治2年)2月:弥勒金堂焼失(続史愚抄)
  • 1361年(正平16年/康安1年)1月17日:南僧房・経蔵・湯屋・大慈院など焼失(嘉元記)。
  • 1494月5月7日:地震で被害(大乗院寺社雑事記)。
  • 1502年(文亀2年)5月7日:兵火で主要伽藍が焼失(大乗院寺社雑事記)。

近世

  • 1624年(寛永1年)3月19日:護摩堂建立
  • 1674年(延宝2年):観音堂(四王堂)建立開始
  • 1711年(正徳1年):四王堂建立
  • 1752年(宝暦2年)頃:現在の本堂(光明真言堂)再建。
  • 1762年(宝暦12年):京都から移築して愛染堂とする。
  • 1874年(明治7年)(明治7年)12月18日:佐伯泓澄、西大寺住職に任命。
  • 1895年(明治28年)6月6日:真言律宗、独立。

伽藍

古代伽藍

  • 薬師金堂:現在、浄土院がある一帯が跡地で遺構が出土している
  • 弥勒金堂:兜率天堂?神護景雲3年(769)に建てられた弥勒浄土堂が起源か。承和13年(846)講堂焼失とあるが弥勒金堂か。徳治2年(1307)2月、焼失。
  • 四王院:西大寺を特徴付ける四天王を祀る堂。最初に発願された。現在も四王堂として現存。
  • 講堂:
  • 食堂:
  • 東塔:
  • 西塔:
  • 十一面堂院:
  • 小塔院:
  • 政所院:
  • 東南角院:
  • 西南角院:
  • 法院:神護景雲元年(767)3月3日、称徳天皇が行幸。
  • 島院:神護景雲元年9月2日、称徳天皇が行幸。延暦4年(785)桓武天皇行幸。
  • 正倉院:

中世以降の伽藍

  • 本堂:光明真言堂。光明真言会のための堂宇。東塔の北にある。本尊は清凉寺如来。最初は四王堂に置かれた。叡尊が建長元年(1249)5月4日京都・清凉寺の本尊を模刻させたもの。文永元年(1264)9月4日、光明真言会始まる。現在の本堂は宝暦2年(1752)の再建。
  • 東塔:戒壇の役目を果たしたらしい。文亀2年(1502)の大火で焼失。
  • 愛染堂:本堂の西にある。叡尊が特に崇拝した愛染明王を祀る。元寇の時に叡尊が祈願すると満願の時に愛染明王が持っていた矢が飛び出し、西に向かい、敵軍を破ったという。向かって左に天照大神、向かって右に称徳天皇など歴代天皇などの位牌を祀る。また叡尊を祀る御霊屋が併設されている。現在の堂宇は宝暦12年(1762)に移築。
  • 四王堂:称徳天皇が発願した四天王を祀る。十一面観音も祀るため観音堂ともいう。
  • 護摩堂:不動明王を祀る。
  • 大黒堂:愛染堂の北隣にある小堂。
  • 阿弥陀堂:廃絶。
  • 文殊堂:廃絶
  • 灌頂堂:廃絶
  • 沐浴堂:廃絶
  • 薬師堂:廃絶
  • 平和観音:西塔跡にある。
  • 清瀧権現社:清瀧権現を祀る。叡尊は醍醐寺清瀧権現から神託を受け、真言密教を志した。西大寺復興と共に醍醐寺から分霊した。
  • 石落神社三輪から分霊した少彦名命を祀るという。
  • 西大寺八幡神社:暦仁2年(1239)、叡尊が献茶を行い、大茶盛式の起源となる。弘安8年(1285)11月17日、叡尊が御神体を新造している。叡尊が大茶盛式を始めた。
  • 西大寺墓地:歴代長老の墓。境外にある。

子院

  • 西室:
  • 東室
  • 南室
  • 二聖院:西室を継承し、長老の住房となる。現在の本坊に受け継がれている。
  • 護国院:別格本山。現存。宝生護国院。亀山上皇が行幸。
  • 一之室院:別格本山。現存。
  • 饒益坊:廃絶。
    • 法寿庵(法寿院):現存。
    • 真如庵:廃絶。
    • 松林庵:廃絶。
  • 清浄院:現存。
  • 華蔵院:現存。
  • 増長院:現存。
  • 三光院:明治維新期に廃絶。
  • 地蔵院:
  • 石塔院:
  • 体性院:奥之院。境外塔頭。叡尊の墓。慈真、宣瑜の墓もある。
  • 大慈院


関連旧跡

組織

西大寺別当

  • 西大寺別当が置かれた。
  • 『西大寺別当次第』(東寺百合文書)[1]
  • 『古代荘園史料の基礎的研究』未見
世数 生没年 在職年 略歴
1 安栄 生没年不詳 849-? 849年(嘉祥2年)3月2日、西大寺別当。
2 平恩 ?-889 872-? 三論宗の学僧。唯識・倶舎にも通じた。865年(貞観7年)維摩会講師。872年(貞観14年)8月7日、西大寺別当。専寺。889年(寛平1年)1月26日死去。已講。
3 安好 生没年不詳 889-? 889年(寛平1年)3月28日、西大寺別当。
4 豊継 生没年不詳 894-? 894年(寛平6年)7月14日、西大寺別当。
5 雲澄 生没年不詳 899-? 899年(昌泰2年)6月16日、西大寺別当。
6 入玄 生没年不詳 903-? 903年(延喜3年)9月19日、西大寺別当。
7 入玄 生没年不詳 908-? 908年(延喜8年)9月14日、西大寺別当再任。
8 峰如 生没年不詳 910-? 益信の弟子か。910年(延喜10年)7月15日、西大寺別当(917年(延喜17年)か)。峯如。
9 良祐 生没年不詳 920-? 920年(延喜20年)10月19日、西大寺別当。
10 恩寛 生没年不詳 921-? 興福寺僧。921年(延喜21年)9月14日、西大寺別当。恩覚?
11 延善 854-935 922-? 紀氏。854年(斉衡1年)生。925年(延長3年)権律師。922年(延喜22年)6月14日、西大寺別当。専寺。已講。935年(承平5年)死去。82歳。
12 永有 生没年不詳 935-? 935年(承平5年)2月29日、西大寺別当。
13 禅教 生没年不詳 944-? 944年(天慶7年)閏1月23日、西大寺別当。大安寺別当。965年(康保2年)5月24日、広沢あたりで殺害された(日本紀略)。
14 禅樹 生没年不詳 964-? 964年(康保1年)12月5日、西大寺別当。
15 禅樹 生没年不詳 968-? 968年(安和1年)9月21日、西大寺別当再任。
16 仲算 935-976 973-? 興福寺僧。喜多院空晴に師事。963年(応和3年)の宗論で、延暦寺良源を論破。973年(天延1年)、西大寺別当となる。976年(貞元1年)10月19日死去。「西大寺別当次第」では「中算」とある。
17 禅樹 生没年不詳 979-? 979年(天元2年)閏3月29日、西大寺別当再任。
18 安救 生没年不詳 不詳 994年(正暦5年)8月、東寺阿闍梨?
19 承安 生没年不詳 991-? 991年(正暦2年)10月17日、西大寺別当。専寺。四王院院主。
20 定澄 生没年不詳 995-? 興福寺僧。995年(長徳1年)12月28日、西大寺別当。已講。(興福寺別当の定澄は年代が合わないので別人か)
21 仁宗 945?-? 1000-? 興福寺僧。宿曜師。995年(長徳1年)に宣旨を受け、造暦を担当している。その功績で1000年(長保2年)、西大寺別当となる。
22 輔静 生没年不詳 1004-? 薬師寺別当。1004年(寛弘1年)3月7日、西大寺別当に就任(御堂関白記)。已講。
23 輔静 生没年不詳 1008-? 1008年(寛弘5年)3月28日、西大寺別当再任。
24 明空 生没年不詳 1012-? 興福寺僧。1012年(長和1年)9月22日、西大寺別当(御堂関白記)。已講。
25 道讃 生没年不詳 1016-? 興福寺僧。1016年(長和5年)5月16日、西大寺別当(御堂関白記)。法華寺別当。東大寺権別当。大律師。
26 蓮胤 生没年不詳 1020-? 東大寺僧。1020年(寛仁4年)12月30日、西大寺別当(左経記)。憐因とも。
27 仁統 生没年不詳 1025-? 興福寺僧。宿曜師。藤原道長ら貴族のための占星・祈祷をたびたび行っている。1015年(長和4年)に造暦を担当し、その功績で、1025年(万寿2年)3月2日、西大寺別当となる。
28 円縁 ?-1060 1025-? 興福寺別当25世。高階業遠の子。1025年(万寿2年)12月、西大寺別当。大安寺別当。
29 長慶 生没年不詳 1049-? 1049年(永承4年)1月30日、西大寺別当。已講。
30 行昭 生没年不詳 1057-? 興福寺僧。1057年(天喜5年)3月8日、西大寺別当。已講。
31 能算 ?-1094 1062-? 興福寺の僧。宿曜師。仁統の弟子。1062年(康平5年)10月3日、西大寺別当、1075年(承保2年)から没年まで法隆寺別当。大威儀師。
32 懐真 生没年不詳 1074-? 興福寺僧。1074年(承保1年)5月20日、西大寺別当。
33 慈懐 生没年不詳 1081?-? 興福寺僧。1047年(永承2年)維摩会竪義。1063年(康平6年)維摩会講師。1081年(永保1年)(承保6年?)1月14日、西大寺別当。
34 隆禅 1038-1100 1080-? 大乗院門跡開山。1080年(承暦4年)1月14日、西大寺別当。已講。1096年(永長1年)3月12日、興福寺権別当(後二条師通記)。大安寺別当、長谷寺別当。
35 実覚 生没年不詳 1096-? 興福寺僧。1096年(永長1年)3月12日、西大寺別当(後二条師通記)から1118年(元永1年)4月28日まで西大寺別当。法眼。
36 湛秀 生没年不詳 1118-? 興福寺僧。已講。1118年(元永1年)4月28日、西大寺別当。著書『臨終行儀註記』。
覚誉 生没年不詳 1129-? 1129年(大治4年)10月28日、西大寺別当。
37 済円 1080-? 1120-? 興福寺僧。1120年(保安1年)5月14日(?)、西大寺別当。弥勒金堂・四王堂を修復した功績で1138年(保延4年)権律師。已講。
38 寛救 ?-1144 1140-? 興福寺僧。宿曜師。造暦の功績で1138年(保延4年)大威儀師。1140年(保延6年)10月6日、西大寺別当(興福寺本僧綱補任)。西大寺別当次第には「寛久」とある。1144年(天養1年)5月29日、死去。
39 維厳 ?-1150 1144-? 仁和寺僧。真言宗。1144年(天養1年)西大寺別当。惣在庁。東寺上座。威儀師。1150年(久安6年)11月27日死去。
40 覚珍 1099-1175 不詳 興福寺別当41世。藤原実隆の子。1099年(康和1年)生。1139年(保延5年)講師。西大寺別当の就任年は不明。西大寺などの塔を修復した功績で1153年(仁平3年)5月14日、権律師。1164年(長寛2年)5月11日、興福寺権別当。1170年(嘉応2年)権僧正。1173年(承安3年)8月24日、興福寺別当就任。1175年(安元1年)10月24日死去。77歳。已講。
41 玄縁 1113-1179 不詳 興福寺別当43世。高階宗章の子。1113年(永久1年)生。西大寺別当の就任年は不明。1175年(安元1年)11月、興福寺権別当。1176年(安元2年)長谷寺別当39世。1179年(治承3年)2月、興福寺別当。福原遷都にともない、春日大社の福原遷座を画策したという。同年4月29日死去。僧正。著書『礼仏懺悔作法』。『平家物語』に「永円」の名で登場する。
42 教覚 1106-? 1164-? 興福寺僧。1106年(嘉承1年)生。1133年(長承2年)維摩会竪義。1141年(永治1年)維摩会講師。1164年(長寛2年)閏10月13日、西大寺別当。
43 忠恵 生没年不詳 不詳 興福寺僧。西大寺別当の就任年は不明。1206年(建永1年)5月29日、西大寺東大門造営の功績を譲り、弟子の覚芸が権律師となる。法印。
44 雅円 生没年不詳 1209-? 興福寺僧。1209年(承元3年)12月29日西大寺別当。のち解任。法眼。
45 忠恵 生没年不詳 不詳 再任。
46 雅円 生没年不詳 1219-1251 1219年(承久1年)2月13日、西大寺別当に再任(仁和寺日次記。西大寺別当次第では1218年(建保6年)とする)。
47 尊雅 生没年不詳 1251-1251 1251年(建長3年)7月、西大寺別当。法眼。
48 定宗 生没年不詳 1251-? 1251年(建長3年)11月24日西大寺別当。1256年(康元1年)2月21日、興福寺権別当。大僧都。
49 性誉 生没年不詳 1263-? 1263年(弘長3年)西大寺別当。法印。(興福寺別当74世・84世?1306年(徳治1年)12月22日死去。92歳?)
50 乗範 1229-1284 1276-? 興福寺の僧。自坊は興福寺竹林院。藤原資季の子。1229年(寛喜1年)生。1276年(建治2年)10月2日、西大寺別当。1278年(弘安1年)7月18日、叡尊に西大寺の運営権を譲る(乗範置文)。1283年(弘安6年)11月5日、興福寺権別当。1283年(弘安6年)12月18日、法隆寺別当に補任。1284年(弘安7年)9月24日死去。

西大寺別当

律僧を統括する長老とは別に別当も存続していた。

  • 尊憲()<-1283->:興福寺僧か。興福寺別当範憲の父か。1283年(弘安6年)(中世記録人名索引DB。勘仲記)
  • 良堯()<>:修南院。鎌倉後期。(日本古文書ユニオンカタログ)
  • 範宗()<-1356->:興福寺の僧。1356年(正平11年/延文1年)時点で西大寺別当だった。1353年(正平8年/文和2年)興福寺権別当となる。
  • 円守()<1371->:1371年(応安4年)1月28日、西大寺別当に就任。(一乗院文書)
  • 兼暁(1402-1450)<?-1450>:興福寺別当174世。自坊は慈恩院。広橋兼宣の子。1402年(応永9年)生。東院、修南院に住す。1450年(宝徳2年)1月9日、西大寺別当在職で死去。(大日本史料7編人名カードDB)
  • 兼円(1427-?)<>:興福寺別当183世。1427年(応永34年)生。
  • 兼継(1474-1553)<1494->:興福寺別当195世・201世。自坊は興福寺東北院。町広光の子。1474年(文明6年)生。1494年(明応3年)10月15日、西大寺別当に就任(大日本史料総合DB)。1548年(天文17年)12月法隆寺別当に補任。1553年(天文22年)9月6日死去。大僧正。
  • 兼範()<1529->:1529年(享禄2年)11月19日、西大寺別当に就任。(大日本史料総合DB)
  • 覚誉(?-1562)<1554->:一乗院門跡32世。興福寺別当202世。近衛尚通の子。足利義稙の猶子。1554年(天文23年)2月29日、西大寺別当に就任。(大日本史料総合DB)

住職(叡尊以降)

長老と称す。

歴代 僧名 生没年<在職年> 備考
1 叡尊 思円房 1201-1290 真言律宗西大寺流の開祖。西大寺中興。興正菩薩。宗祖と呼ばれる(空海は高祖とされる)。1290年(正応3年)8月25日死去。90歳。
2 信空 慈道房 1231-1316 叡尊の弟子。後宇多上皇の帰依を受ける。諸国国分寺の復興を行う。慈真和尚。1316年(正和5年)1月26日死去。86歳。
3 宣瑜 浄覚房 1240-1325 叡尊の弟子。弘正寺に住す。花園天皇に授戒。1325年(正中2年)2月29日死去。86歳。
4 静然 良證房 1252-1331 1331年(元弘1年)12月13日死去。80歳。
5 賢善 覚律房 1251-1340 1340年(興国1年/暦応3年)10月2日死去。90歳。
6 澄心 静心房 1278-1347 1347年(正平2年/貞和3年)9月5日死去。70歳。
7 信昭 静観房 1267-1352 1352年(正平7年/文和1年)3月2日死去。86歳。
8 元耀 求覚房 1280-1355 1355年(正平10年/文和4年)10月17日死去。76歳。
9 真湛 悟妙房 1286-1360 1360年(正平15年/延文5年)10月25日死去。75歳。
10 清算 彦證房 1288-1362 1362年(正平17年/貞治1年)11月14日死去。75歳。
11 覚乗 慈淵房 1273-1363 1363年(正平18年/貞治2年)1月26日死去。91歳。
12 貞祐 慈證房 1291-1365 1365年(正平20年/貞治4年)閏9月2日死去。75歳。
13 信尊 道昭房 1297-1366 1366年(正平21年/貞治5年)9月20日死去。70歳。
14 堯基 尊密房 1296-1370 1370年(建徳1年/応安3年)4月24日死去。75歳。
15 貞泉 信乗房 1294-1379 1379年(天授5年/康暦1年)6月1日死去。86歳。
16 禅誉 円宗房 1299-1388 1388年(元中5年/嘉慶2年)5月5日死去。90歳。
17 慈朝 祐覚房 1319-1391 1391年(元中8年/明徳2年)1月9日死去。73歳。
18 深泉 本〓房 ?-1395 1395年(応永2年)9月25日死去。
19 良耀 浄順房 ?-1404 1404年(応永11年)2月25日死去。
20 高湛 明印房 1323-1408 武蔵・称名寺で出家して湛睿に師事。鎌倉・極楽寺東大寺戒壇院を経て、西大寺長老となる。1408年(応永15年)9月25日死去。86歳。
21 叡空 円道房 1333-1412 1412年(応永19年)2月23日死去。80歳。
22 英如 正円 1345-1415 1415年(応永22年)2月29日死去。71歳。
23 英源 円善 1347-1419 1419年(応永26年)10月5日死去。73歳。
24 元空 忍照 1340-1423 1423年(応永30年)7月25日死去。84歳。
25 栄秀 浄曽 1354-1430 1430年(永享2年)8月2日死去。77歳。
26 高海 本円 1357-1436 1436年(永享8年)4月26日死去。80歳。
27 良誓 浄音 1360-1450 1450年(宝徳2年)1月2日死去。91歳。
28 元澄 良賢 1380-1457 1457年(長禄1年)11月8日死去。78歳。
29 高算 明円 1392-1471 1471年(文明3年)12月12日死去。80歳。
30 仙恵 明珠 1395-1478 1478年(文明10年)8月6日死去。84歳。
31 秀如 正真 1404-1488 1488年(長享2年)5月27日死去。85歳。
32 良慶 円珠 1416-1498 1498年(明応7年)8月7日死去。83歳。
33 尊海 浄宗 ?-1502 1502年(文亀2年)3月7日死去。
34 高仲 通円 1428-1509 1509年(永正6年)5月8日死去。82歳。
35 高森 円宣 1428-1511 1511年(永正8年)2月2日死去。84歳。
36 玄海 浄禅 1448-1518 1518年(永正15年)7月8日死去。71歳。
37 高実 本鼎 1459-1532 1532年(天文1年)1月27日死去。74歳。
38 光淳 明寿 1463-1538 1538年(天文7年)5月22日死去。76歳。
39 高珠 円栄 1480-1565 1565年(永禄8年)2月9日死去。86歳。
40 尊珠 等玉 1489-1573 1573年(天正1年)9月7日死去。85歳。
41 高興 明舜 1510-1578 1578年(天正6年)3月29日死去。69歳。
42 尊慶 尊慶 1509-1593 1593年(文禄2年)11月7日死去。85歳。
43 凝海 光忍 1519-1599 1599年(慶長4年)8月2日死去。81歳。
44 高秀 栄春 1522-1603 1603年(慶長8年)12月13日死去。82歳。
45 高久 奎玉 1527-1614 1614年(慶長19年)1月8日死去。88歳。
46 高仙 明識 1541-1617 1617年(元和3年)5月14日死去。77歳。
47 尊智 玄寿 1554-1636 1636年(寛永13年)9月25日死去。83歳。
48 高喜 明観 1586-1663 1663年(寛文3年)8月8日死去。78歳。
49 賢瑜 栄順 1585-1668 1668年(寛文8年)12月22日死去。84歳。
50 高円 良仙 1611-1680 1680年(延宝8年)6月25日死去。70歳。
51 尊信 春識 1615-1691 1691年(元禄4年)6月27日死去。77歳。
52 高算 尊慶 1644-1716 1716年(享保1年)11月13日死去。73歳。
53 尊覚 春賢 1652-1719 1719年(享保4年)9月29日死去。68歳。
54 尊栄 信順 1659-1735 1735年(享保20年)2月3日死去。77歳。
55 寛慶 円明 1662-1745 1745年(延享2年)8月11日死去。84歳。
56 高瑜 明元 1695-1766 1766年(明和3年)2月14日死去。72歳。
57 尊静 真覚 1698-1772 1772年(安永1年)5月24日死去。75歳。
58 尊堂 真旭 1719-1795 1795年(寛政7年)4月6日死去。77歳。
59 尊員 真乗 1756-1819 1819年(文政2年)9月11日死去。64歳。
60 慶般 円昌 1760-1835 1835年(天保6年)11月20日死去。76歳。
61 英堂 円誓 ?-1843 1843年(天保14年)10月11日死去。「尊堂」とある。
62 尊慧 真演 ?-1845 1845年(弘化2年)5月28日死去。
63 高判 智豊 1787-1862 1862年(文久2年)12月20日死去。76歳。
64 佐伯泓澄 津梁房 1824-1906<1874-1906> 文政7年2月5日生。下総国印旛郡岩戸村出身。旧姓は間野。天保6年に長谷寺末の実蔵院で出家。天保8年、長谷寺に修学。元治元年までいた。明治2年、東大寺戒壇院で受戒。明治3年、東大寺真言院住職。明治6年6月28日、教導職九級試補。明治7年11月28日、奈良県中教院に勤務。同年12月18日、奈良県の命令で西大寺住職に就任。明治8年8月7日、権中講義。明治19年12月16日、「長老」の号が復活。たび重なる請願で明治28年6月6日、真言律宗独立を実現。7月4日、初代管長就任。また明治8年5月14日から明治15年4月1日まで「元興福寺守護職」(「元興福寺堂塔守護」とも。のち「奈良公園取締」)を務めた。明治39年4月7日死去。83歳。
65 福垣真応 祐誡房 1871-1928<1906-1928> 自坊は伊賀宝厳寺。1906年(明治39年)4月19日、管長事務取扱に就任。同年6月2日、長老・管長就任。昭和3年5月27日死去。85歳。(『近代の西大寺と真言律宗』)
66 佐伯悟龍 1875-1942<1928-> 自坊は護国院。京都出身。明治8年8月24日生。旧姓は植村。明治20年出家。真言律宗大学林卒。佐伯弘澄に師事し、明治39年、弘澄の養子となる。教興寺大和・般若寺福智院を兼務。昭和3年5月28日、管長事務取扱に就任。9月6日、長老管長に就任。昭和17年9月6日死去。68歳。(『近代の西大寺と真言律宗』)
67 駒岡乗円 明瑞  -1952<1942-> 宝山寺住職。宗務長を経て昭和17年9月6日、管長代務者に就任(『近代の西大寺と真言律宗』)。同年11月9日、長老就任?。9月30日付で管長就任(『近代の西大寺と真言律宗』)。昭和27年1月26日死去。69歳。
68 瀬木俊明 1890-1974<1952-1960> 自坊は無量寿福寺。明治23年5月15日生。大正3年、真言宗連合京都大学卒業。昭和17年、宗務長。昭和27年1月26日管長代務者就任。2月8日長老・管長就任。昭和35年3月31日、引退。昭和49年4月4日死去。84歳。(『近代の西大寺と真言律宗』『現代人物誌第十八編』)
69 松本実道 叡海 1904-1999<1960-1996> 宝山寺住職。明治37年5月11日生、関西大学卒業、昭和8年僧籍、昭和27年2月宝山寺住職(『現代人物誌第十八編』)。昭和35年4月1日、長老就任。昭和49年1月、後七日御修法で大阿闍梨を務める。1999年(平成11年)9月4日死去。96歳。(『郷土歴史人物事典奈良』には、関西大学卒。昭和27年宝山寺住職。昭和37年西大寺住職とある)(リストには5月22日生。農家の生まれ。大正3年宝山寺入寺。昭和37年宝山寺貫主。昭和35年から平成8年まで管長)
70 谷口光明 1922-2012<1996-2008> 大正11年(1922)11月30日生(リスト)。愛媛県出身。京都専卒。昭和24年、西大寺に入寺。翌年、西大寺保育園と西大寺幼稚園を設立。園長となる。昭和61年宗務長執事長に就任。平成8年から20年まで長老。2012年(平成24年)2月6日死去。89歳。(リスト)
71 大矢実円 1935-<2008-2020> 宝山寺住職。
72 松村隆誉 <2020-> 荘厳浄土寺住職。2020年8月1日就任。
  • 『仏家人名辞書』、望月『仏教大辞典 付録』、『近代の西大寺と真言律宗』、『日本仏教基礎講座』、『図録 奈良西大寺展』

資料

  • 『西大寺資財流記帳』[2](限定送信)
  • 『南都七大寺の研究』「西大寺」[3](限定送信)
  • 『奈良市史』「恵美押勝の乱と西大寺・西隆尼寺」[4](限定送信)
  • 舘野和己2010『西大寺領越前国赤江庄の復元 : 西大寺食堂院跡出土木簡をめぐって』[5](限定送信)
http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%A5%BF%E5%A4%A7%E5%AF%BA」より作成

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